以前のこと
暇だなーと思って以前書いていたブログを覗いてみた。
もう7年近く放置している。どれも長続きしなかったからなぁ。
そのブログは2012年から始まりだった。と思う。
息子はまだ8歳で、娘が6歳か。
響きだけで可愛いな。
ケーキばかりの話題だけど携帯にも残っていないような写真ばかりだったので保存した。
たった7年しか経っていないのに、随分環境や状況が変わったね。
子供が小さい頃も大変だけど、大きくなっても違う大変さがあると言っていた母の言葉が身にしみるわぁ…。へぇーとしか思わなかったな。
まぁ子育ての事は置いといて。
もともとお菓子づくりをしょっちゅうしていた私は自分の子供のケーキのみキャラチョコも付けて作っていたのだけど、それが子供の口から子供に伝わり、子供から親へ、そして親から私へ頼まれるようになった。
その数ある中唯一、卵抜きのケーキは作れないかと言われて手を出したのがあった。
近くにアレルギー対応のケーキ屋が無く、誕生日は食パンに生クリームと苺を飾ったものを毎年食べていたから、ちゃんとケーキって言うのを食べさせてあげたいと言っていた。
簡単にやってみる!と言ってみたもののなかなかこれが曲者だった。
卵抜きのケーキのレシピは数あれど、どれを試しても味はイマイチだった。
卵の風味や口どけ、保水感、キメの細かさや膨らみまで全く違う物になったことにびっくりしたし、その味に満足が行かず何回も何回もやり直した。
二ヶ月近く毎日のように試したけれど、とうとう分かんなくて、アレルギー対応のケーキを販売しているパティシエに手紙を出したんだ。
全く知らない県外の、客にもならない人間からレシピを聞かれたそのパティシエは、まぁ丁寧にポイントとレシピをくれた。更に手に入りにくい材料も送ってくれた。
何度かメールのやり取りをし、やっと完成したものがその時の写真のケーキだった。
どう作っても卵入りのスポンジの旨味には勝てません。とパティシエが言っていた通り、やっぱり卵入りのに比べるとコクが無くて淡白だったけど、十分美味しい物が出来た。
最後に果物を手紙と共にお礼に送ったのだけど、メールのやり取りをしているうちに
お互い縁があったことに気が付いた。
偶然にも私が初めて引きこもりから脱出して働き出したケーキ屋さん、そこの店長の同期だった。
びっくりした。
『当時、彼からよく15歳の女の子の接し方を相談されましたよ』
それは私だ。
私の扱いに、とても考えてくれていた店長に申し訳なさがあるので、諌められているように感じた。
一気に15歳の思いが巡った。
一年経たずやめてしまった。ごめんなさい。と言った気持ちだった。
無遅刻無欠席だったとは言え、右も左も分からない影のある当時を思い出す。
とても不思議な偶然の縁だった。
ケーキはとても子供もお母さんも喜んでくれたよ。
まぁでも翌年にはアレルギーが改善されて普通のキャラケーキしか頼まれることは無かったけど。
私が思ったよりそのお母さんは割と軽く頼んできたのね…。
勉強になったからまあいいのだけど。
当時29歳頃だったろうか。まだ15の時の事を思い出すとしんどい時はある。
素敵な縁ねとも言い切れず、なんだか昔に戻されて、優しい店長の代わりに同期の人に一喝されたような気分に少し滅入った。
まぁ、一般的に考えると正論を言っていたと言う感じで。
情を感じない私よりも一緒に切磋琢磨した店長寄りの大人の意見だった。そらそうだ。
私の事は、15歳で入って来たけど一年経たず辞めたとしか聞いてないはずだから仕方ない。
でも不登校児からすると、あれでも随分頑張ったんだけどなぁ…となるけれど、一から説明するものでもないし、もうしてもどうにもならないので聞くだけになる。
そしてその同期の方の意見は正しい。それが分かるから尚のこと言い訳は出ないのである。
そしてまた写真を見つけては、同じように少し滅入るのである。
成長していないのかそれとも不登校がどれ程のトラウマやコンプレックスに残っているのだろうか。
今思えばほんとに頑張ってたよ。
息子も、そんなコンプレックスを持つのだろうか。それとも時代の違いが、そんなもの流してくれるのだろうか。
息子に限らず、不登校の子供達には、自己否定が過ぎる事なく過ごしてほしいな。