日記

なんとなく

今の状態

あれから息子は夏休みに入るまで休む事なく別室登校を続けた。

気のせいじゃなかった。表情の変化は気のせいじゃなかった。

もちろんのこと別室といっても2時間もしないうちに帰ってくるけれど、今にもふらっと死にに行くような顔していた時からすると、かなり安心できる毎日になった。

 

夏休み明けからまた何も出来なくなるのではと言う心配は不思議となく、本人ももう少し勉強の時間を増やそうか、給食食べるまで居てみようかと言い出している。

 

相変わらず高校への意欲はあるものの通信制定時制になるなら、そこまで勉強しなくても良いのではと勉強嫌いの私ならそれをいいことにサボるのだけれど、勉強はやはり楽しいらしい。

社会科は相変わらず手をつけようとしないけれどさ。

新しい大阪の中学は教師が皆、不登校児に慣れたような感じなのでそれはとても有り難い。

恐らく学校の方針のおかげもあるのでは。

 

高知で不登校だった中学は、担任の教師はとても優しかった。でも学校の雰囲気は不登校を寄せ付けない感が否めなかった。

進学校なだけにこれは仕方ないとも思う。

 

担任も沢山悩んで考えてくれただろうけど、それよりも受け持ったクラスがたまたま派手な子(内面)が多く固まったクラスだったため、息子はおざなりになっていた所もある。

これも責める気もないしむしろ心配事を増やして申し訳ないと思った。

その後2学年の時、適応障害でしばらく休職もしていた。

ぱったり連絡無くなったなーと思って、ある時用事で学校に電話した時に、今休んでいると言われたけど、妙に含みのある言い方だったし、その後も長かったからなぁ。後から聞いて、だろうなと思った。

 

転校する最後の日に、旦那と息子と三人で学校まで挨拶に行った。

休職明けたばかりの担任から息子はプレゼントを貰っていた。

女性教師らしい、可愛いラッピングで、おっさんみたいな中学生男子に、可愛いくまのプーさんのシャーペンだった。そのセンスが可愛くてちょっと笑った。

私も小さい頃からプーさん大好き。

息子は今、そのペンを使って別室で勉強している。

 

 

『ごめんね。行きたいのに行けない、行かないといけないと分かっているのに足が動かない辛さ、今ならやっと分かってあげられる。遅くてごめんね。先生も頑張りすぎないように頑張る。だから、お互いに頑張りすぎないように頑張ろう。』

そう言ってくれた。

 

子供がまだ幼児で、クラスも荒れてて、さぞかししんどかっただろう。私も貴女を応援してる。

 

息子は言わないんだけど…ちょっとその先生のこと女性としても好きだったんじゃないかな。本人も気が付かないくらいの小さい恋心。

若くて綺麗だし、優しいし。

そもそも荒れたクラスで派手な子が先生をおちょくる態度に、先生が最後泣き出した事が何度もあったらしいんだけど、未だにそれを息子は言うんだよな。

『先生が可哀想だった!あんな馬鹿達の為に泣くんだよ。教師って大変だ!!先生があんまり泣くから俺も泣きそうだった!』

 

へぇ〜。

大人を頼りないとは思わなかったのか。そう思ったのか。

お前は優しいなぁ。

でもクラスの子の事はボロクソに言うんだよな。

 

まぁ自分もとことん嫌な目にあわされたからな。それはしょうがないか。

 

さて、大阪の中学の第一発目の成績表は斜線だったな。評価が欲しいらしいので息子は夏休みの宿題から、提出物は全て提出する気らしい。

 

そうかそうか。

頑張るとよいね。

 

とりあえずあれだな、何だかんだで、毎晩家族揃ってるってのは、やっぱりいいな。

気持ちが安定しやすい。

 

そしてそう安定しやすい家庭の空気を作ってくれている家族それぞれに感謝し、やっぱ私あの時死ななくてよかったなぁ!と思うのであった。