日記

なんとなく

不登校息子がバイトを始めて。

 

息子は殆ど家から出ずヤキモキしたあの3年後高校中退後暫く無職期間が経って、初めてのバイトの初めての給料で何をなさるかと放っておいたが、私とはえらく違っていた。
因みに私の初給料は15歳初っ端から週6フルタイムで働いたので当時600円と言う激低の時給ながらも12万ほど貰ったが、頭が少々弱いのでその日のうちに使い切ると言う暴挙を働いたことがある。流石である。宵越しの金は持たねぇ主義なんだ。
それよりもフルで働いた後に夜な夜な金を使い切れる体力がもはや羨ましい。
30歳を過ぎると人はオールが出来なくなる。

 

息子が使った物は母の日のプレゼントの花と家に入れるお金だった。
なんと今の若い男の子は優しさを表現する事が上手いことか。
花は私の棺桶に入れて一緒に燃やしてくれ。
彼が毎月入れているお金は彼にとってとても誇らしい現金だろう。
速攻その日の晩のステーキ肉に変わったが。
家族の血肉になった。

それまで学校に行くことが出来ないと言うたったそれだけの事実で、どれほど自分が情けなく社会に取り残されたかの様な孤独感と共に過ごしたことか。
これは親を含めた当事者にしか分からないであろう自己肯定感が駄々下りになる経験である。
死んでしまった方が楽であり家族に迷惑もかけなくなると言う若さ故の安直な思いと毎日毎日葛藤するのである。24時間365日である。
親からすると何気無く部屋を訪れたら子供が血まみれで自死してはいまいかと肝を冷やす事の多い毎日だろう。
ご飯だよと声をかけて『分かった』と返事があるあの安堵が365日ある。
それだけ色々ヤバイのである。
家にいるなら家で勉強すればいい、習い事をすればいい、塾に行けばいい、他に道はあると何度当事者では無い周りの人間に励まされただろう。
そもそも経済余裕も無い。不登校は世間で表に出てるほどなんの補償もない。とんちんかんな援助が多い。しかしそれを断るとあっさりとこちらが悪者になるのである。せっかくやってやったのに。我儘なのでは?
知らねーよお前は砂漠で水飲みたい人間に平気で蒸しパン渡すのかよ。蒸しパンには牛乳だろ。カフェオレでもいい。いやそう言う話じゃ無い。
学校に行けないのに勉強したい子がいるとするなら、昼間から勉強を教えてくれるフリースクールがあるし塾もあるが、それらは民間事業なので下手すると毎月6〜7万の月謝が発生するのである。更に学校の教材費や学費はそのまま取られる。給食費は止めてくれる所もあるかな。でもそれも学校に寄ってだな。
学校に行くのが一番安く手っ取り早いのである。しかし行けない。そして何よりもそれは本人が一番知っている。
辛そうに涙を流しうずくまりながらも学校に行こうとする子供を見た事があるか。
人目を憚らず親に引きずられながらも必死に泣きながら抵抗する子供の姿を見た事があるか。
1人孤独に教室の隅でクラスメイトに嫌がらせを受けながら耐える子供を想像した事があるか。
別室登校させてくれると融通を利かせてくれた風を装って、1人離れた小さな部屋でポツンと放置されて外を眺める子供を想像出来るか。
私自身は親の判断が早かったおかげでその経験は無い。むしろ不登校への社会的理解がほぼ皆無だった時代なのが私にはよかったのかもしれない。精神疾患並みに分断されるくらいの無理解だったし。親はたまったもんじゃなかったろうけど。今は理解は進んできたけど中途半端な理解のため色々面倒な事が多くなったのも事実。そして私は息子にそれを強いてしまった期間がある。悔やまれる。私は馬鹿だ。本当馬鹿だ。

 

その時にはもうひっそりと静かに息をするだけで精一杯の精神状態である。
転職と言う逃げ道がある大人でもそうなるのに、精神も体もまだ成長途中の未熟な心で自分の意思では行き先も選べない歳なら如何程のものか。
鬱の人間に『頑張れ』と言わない方がいいと言うのはそう言う事である。既に今際の際に近い人に頑張れと崖先で押している様なものである。
自分は日常生活すら出来ない何の意味もない無駄な命なのかと更に追い込まれる。
しかし死にたくは無い。死にたいのでは無い。生きたいも死にたいも無い。その苦しみからただ解放されたいだけで実は事は単純なのだけれども、それが難しい。

目に見える怪我は安静にさせてくれるけど心に負った怪我は見えない分周りからも訝し気に見られ、またその目に傷付く。
誰でも少しのきっかけでなる。なった事が無いのはたまたまそのきっかけに出会わなかっただけ。
人の何が辛いのか、どれがきっかけになるのか誰も分からない。
あの時ヤバかったなーと思う時でも意外と平気だったり、逆にアレっぽっちの事で胃に穴開ける?ともなる。
因みに私は爆食いするといつも胃が痛くなるし大体それは高級料理の時が多い。

 

さて、ありがとうと言われ息子の満更でも無い顔を見ると気持ちがとてもよく分かる。
学校に行かず塾にも行かず習い事にも行かない何者にも属されて無い自分のポジションへの変化の活路が見えた気がして嬉しい。
とてもよく分かる。
私も生活費とは程遠いであろうたった二万だが毎月母に渡すのが誇らしかった。
そのくせ全ての給料を一晩で使い切ってしこたま怒られたことはあるけれど。今となっては可愛い思い出である。
翌月倍取られた記憶も忘れては無い。当時家計がシビアだったので仕方ない。

 

ふとした時に、妹にジュースを買ってくれたり、文房具を買ってくれたり、ゲームを買ってくれたり、おやつを買ってくれたり。
果たして私にそんな兄妹を想う心などあっただろうか。いや無い。頭に無かった。むしろ兄貴なら奢ってくれよとさえ思っていた。
あわよくば人の金で寿司食いてぇと思っていた。完全に息子のそれは旦那家の血である。よかった。
しかし先月『ヤバイ。ゲーム機買ったら八万一気に消えた』と給料日から2日後くらいに言っていたのは笑った。それでいい。いや、よくない。いいのか?


でもそのゲーム機で兄妹で仲良く遊んでいる。
地元の友達とやっているのは別のゲーム機か?増え過ぎてよく分からん。とりあえず企業はコードを一本にまとめてくれんか。あとコントローラーも。種類がヤバイ。そして機材が入っていた箱はどうすればいいのか途方に暮れている。捨てていいのかアレは。いっそ袋で売ってはくれまいか。保証書と説明書は機械にしまえる引き出しをつけて欲しい。て言うか脳に埋め込んでやりたい時にゲーム中のステータス表のようにホログラムとなって現われる開発はまだなのか。いっそSAOが早く開発されて欲しい。絶対私が欲しい。弱いモンスターばっかり相手に日銭を稼いでダラダラ生きるがそれはリアルと変わらなさそうだしますます堕落しそうなのでダメか。モンハンすら近所でブラブラして終わる。思い立ったように遠くに旅に出ていきなりの強モンスターにやられてそうだ。誰か助けて。

話が逸れた。

 

私が息子に対して感慨深かったのは金の使い方に対してだった。

大切な人に何かを買って喜ばせたいと言う使い方。
誰もが持っていそうな感情だけに見過ごしやすいけれど、16歳の子供が誰から教わるでもなく、有限の自分の時間を使い、自分の為だけに使える筈のお金を、自分の為では無く、家族を喜ばせようと思い立ったのかと、その姿を想像すると何ともいじましくも愛しい感情である。

 

私は2回目の給料の時マクドナルドのチキンナゲットをアホほど買った。子供の頃朝ご飯はパン食だった我が家は付け合わせにチキンナゲットがごくたまに出た。しかし1人一日二つまでしか母が許してくれなかった。そう、チキンナゲット、大人になって気が付いた。朝食の付け合わせに毎日はまあまあ高い。更に食べ盛り三兄弟。しかし子供はそんな事知らぬ。食パンなんかいらねぇ!チキンナゲットだけ満腹食べさせてくれ!そうたらふく食べてみたいと小さき頃からの長年の夢を果たすべく、アホほど買って一人で食べた後、嘔吐に見舞われた武勇伝がある。
あれはヤバかった。
3回目は桃だった。桃という高価な果物は我が家では争奪戦が毎回開催されていた。父と兄2人と私の4人で母がカットしてくれた2玉の桃。一番年下で食べるのが遅い私が満足な数を食べるなど叶うはずも無い。特に桃は父の好物、更にそれを子供達に譲る様な親では無い。真っ先にフォークでぶっ刺すタイプだ。今なら分かる、分かるぞ親父。何故なら私もそのタイプだ。そしていつか自分で稼ぎ出したらたらふく桃を食ってやるんだと言うそれはそれは壮大な夢を叶えるべく。
桃は美味かった。
母はその時台所でこっそりカット後のタネの周りの実を食べていたらしい。なんて聖母。
今では私はその聖母になるべく種回りの実とカットされた実両方食べている。
桃だけは子にも譲らない。むしろみんな譲ってくれる。そんなに私の桃への執着が凄いのか。

 

ケーキが好きなのにケーキの爆食いをしなかったのはケーキ屋にいたからそれは事足ったからでした。

 

話がまた逸れたけど、そこで私は息子ほど家族を想って何か形のある物をしただろうかと一抹の不安を覚えた。
しかし一抹だったのでまあいいかで終わった。

 

何が言いたかったかと言うと、息子の金の使い方に安心したなと言うお話し。
ただ貯金はしろ。私はしなかったけど。
海外にゆくゆくは行きたいのなら貯金はしてくれ。

 

【40代、無職、実家暮らし、親の年金で生活】と言うカテゴライズされた人間がニートだなんだと揶揄するニュースを見た時、若い頃の私はこいつは何の為に生ているのか、母親もさっさとこんなゴミ捨ててしまえばよかったのにとよく思ったけれど、今ならその庇う母親の気持ちも少し分かる。まぁそれもその人間によるけどもね。
平気でそいつ本人がインタビューに答えてヘラヘラしているとぶっ飛ばしたくはなる。

 

いくつになっても彼女にとって子は子であり、赤子からの記憶がずっと彼女からこびりついて離れない。
一番社会生活に馴染んで欲しいと心が張り裂けそうな程願っているのは彼女だし、しかし生きているだけでいいと切に想っているのも分かる。他人がとやかく言える事では無い。とやかく言うなら金くれよと言った感じだよな。
お前らは口だけ出して金はださねぇ二世帯住居を建てたがってる小姑かよ。
キッチンとトイレと風呂は二つずつがオススメです。
そもそもその前に小姑同居はやめろ。
私みたいな小姑ならいきなり可愛いペット飼っちゃった☆とか言いながらナマケモノ放し飼いし出す恐れがあるから。
嫁さんが綺麗に整えたベビーベッドにある日いきなり小姑のナマケモノが寝てたらしばきたくなるだろ。しかしナマケモノは飼いたい。

 

やはり話が逸れた。

 

とにもかくにも息子にも娘にも生きていて欲しい。
それだけが私の願い。
でも人間欲深い物でそれが日常になると、欲という名の願いが増える。
あわよくば生きる事プラスに、楽しい事を沢山してほしいし、あわよくば楽しい仲間に出会えて欲しいし、あわよくば就職してほしいしあわよくば自立して欲しいしあわよくば私にお小遣いくれると嬉しい。それは嬉しい。

久々じゃーん

バイトのシフトが急激に減った。

コロナのせいじゃない。

 

支店と本店を行き来していた訳だけど。

 

まず私は支店で採用されてて、その2ヶ月後に本店に人が足りないという事で支店の中から人を募ったのだけども、誰も手を上げなかった。

遠いし、忙しいと言うのがあったから。

特に何も考えてなかった私が手を挙げて行き出した。

確かに忙しいしやる事が多いので、まぁ今支店にいる人はなかなか難しい人ばかりかもしれない…これで時給も変わらないから文句も出て面倒になるかもな…てのもある。

本店には初めて会う社員のお兄さんがいた訳でいい歳してこれがまぁなかなか素敵だったのでファンになって、今は旦那を大事にするので来世結婚して下さい!とか言うんだけどいつも袖にされるの。つれないなぁ。

それはいいんだけど、その楽しそうな状態から何を勘違いしたのか、支店を仕切る別の社員さんが私の支店のシフトを一月は3回(3時間ずつ)、2月は6回(3時間ずつ)にした訳です。

本店は大体金曜日、土曜日の5時間半と固定されてて。

いやそれにしても週一しか入らないの無くない?言っちゃなんだけど私他の誰よりめちゃくちゃ動いてるよ?

しかもコロナでシフト削るとか削らないとか関係ない店だよ?

 

冗談混じりで言ったら『でも、本店もあるじゃないですか。本店と足したらみんなと変わらないくらいのシフト量ですよ😆』

 

支店のシフトは私はいつでも入れるし誰かが休みになったらほぼ変わってたよね?融通の効く私をその扱いで、他の主婦や特に学生の希望のシフト(○日の○時〜○時)は全部入れてんの?その中から誰も入れない日に私をあてがった?

 

私:『いや、それは違うでしょう。本店は本来頼まれて来だした所ですよね?話が違うんじゃない?私が喜んで行く事と、貴方が私のシフトを当てはめる事に使うのは違うでしょう?せめてシフト決める時に「来月は学生が沢山入りたいらしいので3回しか無いですがいいですか?」て一声私にかけるのが筋では?』

 

社員:『でも、シフトの数をみんなと揃えるなら本店の数を減らして他の学生に来てもらうだけですよ?数は変わらないじゃないですか』

 

はぁ?誰もいなくて困ってたよね?

じゃあそうすれば?ハッキリ言って私以上に動けると思わないけど?

大体今までそこまで数を揃える事してたか?

極端に学生の希望日数が少なかったり多かったりに合わせるの?

いや分かってるよ。あんたが可愛い可愛いと狙ってる子がその月はもっと入りたい言ったんだよな。

でもこっちも金の為に時間作って働きに来てんだけど。

 

とカチンと来たけどそれは言えないんですよ。

その社員は本店にはいないまたもう1店舗ある支店で普段はいるからね。

そうなった時に困るのは私の来世の旦那()だしそこで言い返しても空気悪くなるしな。

向こうは終始笑いながら言うわけだから悪気があってじゃないのよ。

私:『日数が少ないからで言ってるのでは無くて配慮が足りないじゃん?』

 

社員:『だって僕も忙しいんですよー!仕事終わったら友達と予定があって!だからその日のうちに決めたかったんです!』

 

私:『じゃあ私もWワーク探すわ。そんで支店のシフトはこれから○日の○時から○時までってきっちり指定するわ』と言うのが精一杯。

そしたら

社員:『そうですね!稼ぐならそれがいいですね☺️』言われてスーッと引いた。

お前なぁ…天真爛漫なのもいいけどもう今年28歳だろ。歳と立場と口を気をつけろよ…。

 

誰もいないシフトが出来ても知らない。

本店はきっちり日を開けて働くよ。でも支店は知らない。週一くらいしか入れてやらない。

あとは他で稼ぐわ。

 

とそう言う事がありましてずっとWワーク先探してたんだ。

その社員は悪い奴じゃないのよ。

無邪気な無礼なだけで。

 

で、こないだ決まったんでそれもよかったんだけどその前に行った別の店の面接の出来事でさ。

いつまで経ってもいくつになっても履歴書の学歴に私は中学までしか書けないのよ。

ほぼの確率で『中卒?』て聞かれる。

それも分かる。純粋になんで?なんだろうね。

時には『親は心配したんじゃない?』『なに?不良だったの?』『なんで高校行かなかったの?』『ダメじゃーん高校位はがんばんないと』と聞かれるのだけども、それももう愚痴るほどすらないの。

俗に言う世間一般の普通の感覚のその発言も分かるから。

そうじゃない学歴を持つのはそう言う事だと15歳の時に覚悟はする。

そもそも15歳の子供にそんな覚悟持たせるなよ大人がて言いたいけどね。仕方ない。

で、その時の面接でももれなく『中卒?』と聞かれ、慣れはしないなぁとはにかみながら『そうですね☺️』と少しうんざり返事をしたら『わぁ!僕もー😆』と返してくれたその会社の代表。

60代前半だったかな。

初めての返しに泣きそうになった。それからコーヒー飲みながら1時間くらい雑談したかな。

 

結局そこの仕事は入れる時間が合わなくて落ちた訳だけど話はそこじゃない。

それをTwitterに載せてバズってしまったから面倒な事になった。

 

殆どの人が好意的な意見の中、やはりいるのは否定的な意見。

ほっとこうかと思ったんだけどね、私のツイートは私の子供達や、同じように不登校児を抱えた父兄、不登校児本人が中心のアカウントなのよ。

 

あの一番辛かった時、または子供達本人が辛い時真っ只中の人が見たらどう思うか。私はそれが一番気になった。

私からの繋がりでそっちに行かれても困る。そうなったら許せない。

私だって気持ちの良いものではない。

 

なのでツイ消しした。

めんどくせぇな。リアルもネットもめんどくせぇな。としみじみ思った。

ただの悪口やエロ目的の返事だけならまだ良かったんだけど…。

 

いちいちアドバイスくれなくてもな。

私を中卒で仕事を探してなかなか決まらない若い女の子だと随分勘違いしているようだ。

だとしたらさ、尚の事腹が立つと言うもの。

私に、言え。

38歳の私に言え。

 

子供に正論だけを述べて自分の正を押し付けるな。正しい事は誰でも言える。社会を知ってる風に子供に正論を言うのはさぞかし気持ちがいいのだろうな。何故ならそれはお前がリアルで正論を説いても誰も相手にしてもらえないからだろう。

一方的に子供達をサンドバッグにしてやれるもんな。

それは寄り添いではないよ。

クソみたいな持論だよ。

もう口を開くな、文を書くな、息をするな。

 

何が多様性なんだろうなぁ。そう言う人間に限って、一般的な人間じゃない立場の人間に、多様性を認める顔して正論ぶつけて来そうだな。

 

まぁ、それは私の偏見の持論か。

 

高校辞めろ

息子は通信制高校に在学している。

動画授業と年に5回のスクーリング(実技)で単位が取れる。

簡単なようで簡単ではない。

 

子供によるけれど、息子の場合は動画授業などの学科はちょろいものだった。

しかしスクーリングが曲者だった。

何がイヤなのかは私にも分からない。行って授業受けて帰ってくるだけじゃん?

しかもたった年に5回。

 

それだけがあいつに影を落とさせる曲者だった。

 

正直母親ながら実は息子の通信制高校の内容は知らない。全部旦那に任せていたから。

ただ、行き渋っていたのは知っていた。

 

バイトを探しているのだけどなかなか。

ネットの申し込みがいまいちなのか、歳で引っかかるのか分からないけど、いくつか募集申し込みしてるんだけどね。

返事が無かったりが多い。

面接は2回落ちたかな。

カフェと街ど真ん中のご飯屋さんならまぁ落とされるだろうな。息子の条件じゃ。

 

働いた事のない16の男子だからな。

 

 

さて、今日と明日はスクーリングだったんよ。

私は昨日さっさと寝ちゃったけど。

息子は悶々としていたみたい。

 

朝旦那が起きてきて、ぽつりぽつりと言うんだ。

 

行かなければならないのは分かっている。

お金がかかっているのも分かっている。

だけどどうしても嫌で嫌でたまらない。

でも考えれば考える程、その『嫌』は自分がただ面倒臭さがっているだけなのでは。

なら自分はなんて怠惰なのだろうと。

その繰り返し。

お父さんが『休学するか?』『辞めるか?』と言ってくれるだろうと想像も付く。

想像も付くから自分がお父さんに言って欲しいだけなんだろうかと。

 

お父さんも、普通の子が良かったろう?

 

 

あぁ、なんてこと。

思わせまいと思っていた事をなぁ。

全く私が中学の頃思っていた事じゃないか。

生まれ変わったらどうか私のいない家族を育んで下さいと切に願った当時の私が思い出された。

妙な所似てしまったなぁ。

 

旦那は『俺はそんな事、今も昔も思って生きたことがなかった。息子に、普通の子が良かったろうなんて言わせて悲しい。そんな悲しみ知らなかった。そんな悲しみを君も息子も持つの?不登校になるだけでそんな悲しすぎる痛みを子供達が持つのは悲しい。俺は言葉が出ない。今まで考えたことが無かったから。そんな自分が悲しい。言ってあげたい事も浮かばなかった俺は俺が嫌で悲しい。色々考えている子供達を想うとどうにも切ない。』と涙目になって言っていた。

 

もうそこで私は決まっていた。

休学とかあんの?そのスクーリングは必須なの?と聞きはしたけど聞きながらもう決まっていた。

 

まだ寝ていた息子を起こして話をした。

 

『あんた、もう学校やめろ。そしてフリーの身になってがむしゃらに働け。金稼げ。人脈も社会の成り立ちも学ぶ道を行け。悶々とするな。働いて生活費入れろ。そして給料使い切って私に怒られて、翌月倍くれ。そんな馬鹿な事をしろ。休学とか面倒なタイムリミットがあるのも頭に入れるな。働いて勉強したくなったらまた考えろ。その頃には自分で稼いでるんだから自分の自由だ。金が足りなければお願いしに来い。ただそれだけだ。

私が学歴がないと選択肢が狭まると言うのを分かったように納得してあんたは高卒を望んだけど、言葉でしか分かってないだろ?実体験しろ。

あぁ、マジで選択肢ねぇわ。そう思ってから考えろ。まず体験しろ。

あんたは私よりも聡いんだよ。勉学もむしろ好き寄りなんだ。あんたの頭なら一年と足らずになんとでもなる。だからその前に納得できるまで働け。はした金でも稼ぐ世界を知れ。

あとそれから、休学や辞めさせる道を提案して欲しくてお父さんに相談したとか卑下するな。

お父さんじゃない、私が、お前を、辞めさせる。

その後あの時辞めたからと後悔するようなことがあったら多いにお母さんに辞めさせられたから!って言って来い。しばいてやるから』

 

と言ったらケラケラ笑い出した。

 

まかせろ。通信制高校はお母さん専門外なんだ。なんも言ってあげられないんだ。

中学より先の道は知らないんだ。

でも若くして働く道は得意分野だ。

まかせろ。楽しいぞ。

小さな世界に囚われた自分が懐かしく思うから。

絶対。

何故ならあんたは私に似てるから。

まかせろ。

後悔したら私のせいだ。

それもまかせろ。

 

 

俺が…何度もそう言いたくて、ニュアンスが違うけど…3時間かかってもなかなか息子あんなに笑わなかったのに…それよりも普通の子が良かったろう?なんて言葉を引き出してしまったのに…3分で終わらせた…。

 

と後から駅まで送迎する車で旦那に言われた。

 

あいつは分かってないのに分かりすぎているからね。そう言う子は辞める?じゃなくて辞めろ。の方がいいんだよ。

そして後に誰かのせいにする奴じゃないよ。

自分の所為にする時はもういいおっさんだよ。

それでいいじゃないか。

 

とだけ言った。

 

いいんだよそれで。

貴方はそれでいいんだよ。

 

私と息子と娘が寄り掛かって生きていけるのは、そんな貴方だから、それでいいんだよ。

 

頼むから傷付かないでおくれね。

 

楽しくいこうよ。

 

私は今、楽しいんだからさ。

 

一つの事をする

決して一つの会社に勤め上げる事が偉いと推奨しているわけでは無い。

しかし責任を持ってこつこつと一つの会社に勤め上げる人は尊敬する。

 

私が製菓の世界に飛び込んだのは15歳だった。

一年と持たなかった。

精神的な物からくる弱さで体を壊してしまった。

 

そこからまた同じようになったらと怖くて怖くて、飛び込むことが出来なかった。

 

今思えばもっと肩の力を抜いてゆっくりやってけばよかったな。そうすればまだ製菓の世界にいて、全く違う道を歩んでいたかもしれないな。

 

なんて、どうしようもない後悔が私に張り付いている。

今からでも行こうか、飛び込もうか、ゼロから教えて貰おうか。

いやしかし子供が、家庭がと、私は私が進めない理由を人のせいにして足踏みしている。

 

半分、今の気楽なバイトでも楽しいしな。と言うのもある。

 

一つの事をすると私は過集中のきらいがある。

どっと疲れて帰った後、家族をおざなりにするのは私が許せない。

責任感があると言えば聞こえはいいけれど、極度にそこにハマる。

私の生活の殆どがそれになる。

少し恐ろしい。

 

バイト先で仕事をしている時、新人の社員さんに『貴女は自分の勤めている店に愛がありますねぇ☺️』と言われてどうしようもない複雑な気持ちになった。

 

愛じゃない。良くしようと取り組んでいるだけだ。

でもそうか、私はただのバイトだから危ない、出しゃばらないように気を付けようとも思った。

 

それと同時に、社員だからと言ってそこまで気が回らなくても社員の世界に飛び込めたその人に嫉妬した。

いや、その人はその人なりに一生懸命なのは分かっている。まだ仕事を覚えるだけでも大変だと思う。ただ私の融通の効かなさに歯痒かった。

 

旦那は背中を押してくれる。

 

『君は外でバリバリ働くのが似合いそうだな。』

 

ありがとう。

でもどうかな。なんだかんだで私はバイトの立場でしかいなかったからな。

 

『今からでも大丈夫だよ。もっと俺も家事するよ。』

 

うんでも貴方も大切なのよ。私のやりたい事のために負担をかけたくない。

 

ちくしょう。

気軽に愛がありますねなんていいやがって。

お前はもっと責任感を持てよ。

 

などと愚痴ってみる。

 

全ては私の勝手な私の後悔なだけ。

 

久しぶりだな

あいもかわらず変わらぬ毎日で、それはつまらないような気もするけれど、高知県にいた時のことを考えるとどちらかと言うと楽しかったりする変わらぬ毎日だったり。

 

こないだふと、娘に言われて思い出した。

忘れているわけでは無いけど、わざわざ再々思い出すこともなかった。

 

私は、息子と娘の間に一人子供をダメにしてしまっている。

 

とは言っても、ダメになって少しするまでは案外ドライなものだった。

 

二人目妊娠は嬉しかった。

息子と歳を開けずに子が欲しかったから、すぐに出来て嬉しかった。

 

3ヶ月目に入った時だったろうか、少しの出血があった。

すぐ病院で確認してもらったけれど、特に異常はなかった。

だけどその二日後、痛みも何も無く、風呂場で大量の出血と共に子もするりと出てきた。

多分その塊がそうだろう。

大変だ。流れてしまった。

 

冷静に納得して冷静に処理して、その晩は誰にも言わず、次の日産婦人科に行った。

 

エコーで見た瞬間、お腹は空っぽだった。

 

医者に『塊は…出ましたか?』と聞かれ

『はい、家で処理しました』と淡々と答え、残った物もないか確認の後帰って、同居していた両親と、旦那と、お祖母ちゃんに伝えた。

 

残念だったなぁ。

でもさ、そんなそこまで悲しくないのなんだろうな。やっぱ人間になってなかったからかなー。

3ヶ月とか、分かんないよね。

人か物か分かんないよね。

と笑いながら言った瞬間、実兄夫婦が丁度遊びに来て、開口一番に義姉が心配そうに聞いて来た。

『三日前出血したって?どうだった?大丈夫だった!?』

義姉の温かい手が言葉と同時に私の肩に触れた時、ボロボロ涙が出てきた。

声が出ずに息が上手に出来ずに、みんなの前で嗚咽を出して泣いてしまった。

誰も何も言わなかった。

義姉だけが『ごめん、ごめん』と目を赤くして言っていた。

私は首を横に振るので精一杯だった。

旦那はずっと私の背中をさすっていた。

 

私にもそれなりの母性があったと言う安堵と、産みたかったなぁと言う悲しさが後から来た。

それから、きちんと処理してあげればよかった。

ごめんな。

私の悲しさはもうないけれど、それだけが今も心残り。

ごめんなぁ。

 

娘が思い出したように言う。

『本当は、5人家族だったかも☺️』

 

どうかそのまま忘れないでやっておくれ。

 

人として生まれることも意識を持つことも出来ずに流れてしまった私の子供。

 

男の子だったのか女の子だったのか。

 

どこに行ってしまったのだろう。

 

実のところ

思春期外来という病院の科がある事を知ってはいたけれど、意識まではしなかった。

 

あるのは知っていた。

 

パート先の本店は隣はレストラン、さらに隣は病院で、こないだゴミを出しに病院横のゴミステーションでふと看板に目をやると【思春期外来】と書いているのが見えた。

 

へぇ…ここが。そうはっきり書いている病院を初めて見た。

成る程、ふむふむとじっと看板を見て思う。

 

息子も連れて行けば、何か変わったのだろうか。

どういう子が来るのかな。息子みたいに大人しい子かな。きっとカゲが少しあって、俯いたままお母さんと来るのかな。先生はどんな人かな。優しそうならいいねぇ。受付の人の雰囲気も欲しいよね。ツンケンした受付ならお母さんがビビっちゃう。

 

そう思いながらTwitterを見ると、割とそう言った言葉が飛び交っていたことに気がつく。

 

へぇ、成る程。行く人行かない人様々だなぁと。

 

実のところ、正直に言うと病院は私が勝手な偏見を持っていたが為に、息子の相談をする選択は無かった。

 

時は遡って私の時。実は四つ年下の従姉妹も不登校だった。

母からのちに彼女の環境を聞いたのだけど、彼女の場合は不登校の始まりは潔癖すぎる完璧主義からだった。

何度も何度も時間割を繰り返し、時には十回以上ランドセルを見直していたそう。

鉛筆の長さ、本数、消しゴム、教科書、ノート、ハンカチ、ちり紙、明日着て行く洋服、何度も何度も。

果てに疲れてしまい起きられなくなった。

 

その異常とも取れる行動に叔母さんは心配して、精神ケアの病院に通っていた。

当時はまだ思春期外来や心療内科などと言う言い方は一般的では無かった為、私は単純に精神科=異常な人間が行くと思い込んでいた。

 

なるほど?では私もやはり異常か。

それでその選択の門を閉じてしまっていた。

そもそもその時代は学校の先生がそう言う扱いをしていたからね。

先生が悪い訳でもないしその環境だった事を恨む事もない。

ただ、そう言う時代だった。

 

私は異常扱いされて病院で太鼓判など押されたくないと言う妙な意思と、当時の我が家の家計的に私は病院に行く事はなかった。

 

それもまた皮肉なもので。

 

私は病院なぞ行かなくても耐えたぞ。社会性は身についたぞ。

 

単純過ぎるおかしな自信になった。

思い上がりも甚だしい。

私の母の気持ちをおざなりにした自信だ。

大した自信だ。

 

だから息子が、息子がカゲを落としていた時、少しの意地のせいで連れて行かなかった。

 

今になって少し悔やむ。

 

病院にかかれば良かったのか悪かったのかはさっぱり分からない。

従姉妹は現在34歳でそれはそれは楽しそうに、地元の雑誌を作る会社で働いている。

正月に会うとゲラゲラと笑いながらお互い下らない話をする。

不登校の話しは実はした事がないけれど。避けている訳では無く、わざわざする事もないしなぁ。

 

他のお母さんの話を聞いても、通院は母親の意思でさせたものだからかわいそうな事をしたと聞く。

しかし通院させなかった親は、連れて行けば良かったのだろうかと聞く。

 

縁だねぇ。

通院してもぴったり合う先生かどうかも大切だし、通院しなくても合う人間がいれば救われるし。

やっぱり人との縁は大切だとしみじみ思う。

 

分かってはいるんだ。

分かってはいるんだけど。

 

もう息子は義務教育を卒業した。

しかしリアルに生々しいその看板の文字は、初めて見た私にとって静かに衝撃を受け、考えさせられた看板だった。

 

さぁ、何がどういいのだろうか。難しいね。

 

ふと

自分の人生で嫌いな奴や死んで欲しい奴はもちろんいたけれど恨みは無かったなと思った。

嫌いなだけだ。

そして忘れて行く。

でも息子を傷付けた子供はいまだに私の中に根を張って残っていて、ふとした時に思い出す。

親も子も壮絶に不幸になればいいのにと。

 

そう思ったら恨みはとても厄介で悲しいものだと思った。

 

猛烈に楽しい瞬間が流れたとしても、その次には猛烈に辛かった事を思う。

それだけならば今幸せでよかったなぁ、頑張って生きていてよかったなぁで終わったのに。

 

そこから更に恨みは続くんだ。

 

息子が楽しそうにしていればいるほど感じる。

あいつら今どうしているんだろうか、馬鹿みたいな顔でヘラヘラ笑ってんだろうな。くそ。死ねばいいのに。

 

曲がる。

私が曲がる。

 

そうね、恨みは怨みになって人を曲がらせる。

とても厄介だなぁと思ったら少し泣きそうになったし笑けた。

誰ももう気にはしていない、息子本人も嫌な思い出の一つだったと思うだけだろう。私だけが忘れない。思い出せば思い出すだけ胃が痛くなる程不幸を願う。

 

とても不毛だし私の人生が勿体無い。

 

だけどどうにも頭から離れないこの感情は本物の怨みなのだろうとしみじみ思った。

今の子供が笑っているからまぁいいかじゃない。

それと同時に相手の子供が涙を流していて欲しい。

 

やめようやめようバカバカしい。分かってる分かってると何度も自分に言い聞かせ、人には簡単に言えるんだよ。

人なんて怨んでも何もないよ!やめときな!ってね。

 

それはお前だよ…。

悲しいな。

 

私はこれからどんなに豊かな人生を歩もうと、きっと心に残したまま墓まで持って行くんだろうな。

 

くそ。

 

人をいじめる奴は必ず相手と相手の親から一生怨まれている事を忘れないで。

そんなものに若気の至りなどない。

生きている限りお前の親も未来の奥さんも未来の子供も末代まで呪ってやると思われている事を忘れないで。

 

どうか忘れてくれるな。