日記

なんとなく

実のところ

思春期外来という病院の科がある事を知ってはいたけれど、意識まではしなかった。

 

あるのは知っていた。

 

パート先の本店は隣はレストラン、さらに隣は病院で、こないだゴミを出しに病院横のゴミステーションでふと看板に目をやると【思春期外来】と書いているのが見えた。

 

へぇ…ここが。そうはっきり書いている病院を初めて見た。

成る程、ふむふむとじっと看板を見て思う。

 

息子も連れて行けば、何か変わったのだろうか。

どういう子が来るのかな。息子みたいに大人しい子かな。きっとカゲが少しあって、俯いたままお母さんと来るのかな。先生はどんな人かな。優しそうならいいねぇ。受付の人の雰囲気も欲しいよね。ツンケンした受付ならお母さんがビビっちゃう。

 

そう思いながらTwitterを見ると、割とそう言った言葉が飛び交っていたことに気がつく。

 

へぇ、成る程。行く人行かない人様々だなぁと。

 

実のところ、正直に言うと病院は私が勝手な偏見を持っていたが為に、息子の相談をする選択は無かった。

 

時は遡って私の時。実は四つ年下の従姉妹も不登校だった。

母からのちに彼女の環境を聞いたのだけど、彼女の場合は不登校の始まりは潔癖すぎる完璧主義からだった。

何度も何度も時間割を繰り返し、時には十回以上ランドセルを見直していたそう。

鉛筆の長さ、本数、消しゴム、教科書、ノート、ハンカチ、ちり紙、明日着て行く洋服、何度も何度も。

果てに疲れてしまい起きられなくなった。

 

その異常とも取れる行動に叔母さんは心配して、精神ケアの病院に通っていた。

当時はまだ思春期外来や心療内科などと言う言い方は一般的では無かった為、私は単純に精神科=異常な人間が行くと思い込んでいた。

 

なるほど?では私もやはり異常か。

それでその選択の門を閉じてしまっていた。

そもそもその時代は学校の先生がそう言う扱いをしていたからね。

先生が悪い訳でもないしその環境だった事を恨む事もない。

ただ、そう言う時代だった。

 

私は異常扱いされて病院で太鼓判など押されたくないと言う妙な意思と、当時の我が家の家計的に私は病院に行く事はなかった。

 

それもまた皮肉なもので。

 

私は病院なぞ行かなくても耐えたぞ。社会性は身についたぞ。

 

単純過ぎるおかしな自信になった。

思い上がりも甚だしい。

私の母の気持ちをおざなりにした自信だ。

大した自信だ。

 

だから息子が、息子がカゲを落としていた時、少しの意地のせいで連れて行かなかった。

 

今になって少し悔やむ。

 

病院にかかれば良かったのか悪かったのかはさっぱり分からない。

従姉妹は現在34歳でそれはそれは楽しそうに、地元の雑誌を作る会社で働いている。

正月に会うとゲラゲラと笑いながらお互い下らない話をする。

不登校の話しは実はした事がないけれど。避けている訳では無く、わざわざする事もないしなぁ。

 

他のお母さんの話を聞いても、通院は母親の意思でさせたものだからかわいそうな事をしたと聞く。

しかし通院させなかった親は、連れて行けば良かったのだろうかと聞く。

 

縁だねぇ。

通院してもぴったり合う先生かどうかも大切だし、通院しなくても合う人間がいれば救われるし。

やっぱり人との縁は大切だとしみじみ思う。

 

分かってはいるんだ。

分かってはいるんだけど。

 

もう息子は義務教育を卒業した。

しかしリアルに生々しいその看板の文字は、初めて見た私にとって静かに衝撃を受け、考えさせられた看板だった。

 

さぁ、何がどういいのだろうか。難しいね。