日記

なんとなく

通信制のzoom授業

実は初めて息子がzoom授業に参加出来た。

今の今まではまぁコロナの影響もあって、サポート塾も通信制のスクーリングも無くなって、実質息子の生活は変わっていなかった。

 

zoom授業は先月もあったらしいのだけれど、初めての人との対面に息子は参加出来なかった。

少し私は落ち込んだが、まぁ仕方ない。

 

あと『らしい』と言うのは今私はノータッチだから。

全て旦那に丸投げしている。

 

で昨日はね、なかなかね。

『明日はちゃんと参加するように!』

『分かってるよ!』

で息子が地団駄で足をドンっと鳴らしたものだから旦那がその態度にブチ切れて寝室に篭った。

そのあとバツが悪かったのか息子も自室に篭った。

でお開き。

 

私は一人ポツンと居間でタバコとコーヒーと犬を撫でて米津玄師聞いてた。あくまでも見るだけ。

 

今朝は旦那が無理矢理起こしてPC付けて繋いで後に引けない状態で、息子もそれで観念したのか黙ったまま素直に席に着いた。

一言も発する事はなかったらしいけど、態度が素直過ぎて妙に面白い。

私には普通に話すしね。

下手に周りに八つ当たりしない所が彼の長所か。

 

暫くして旦那が紅茶を持って行った。

『俺が部屋に入った瞬間、ため息つかれた…いいんだ…今の俺は悪者で…』とメソリながら降りてきた。

『‪この8年間は私が極悪人だったわね。私だけが一方的に罵ったし貴方は寝室に篭ったけど私は篭れなかったからね。頑張れぇ』

嫌味を言ってやったらもっとメソった。すまん。‬

 

‪お互い分かってるよ。飛んで帰りたかったあの時の旦那の気持ちも一人になりたかったあの頃の私の気持ちも。‬

 

キレそうになったのに寝室に篭ってクールダウンした旦那は上手にコントロールしてると思うし、何もしない嫌味しか何も言わない私に何も言わない究極的に優しい男だよ。

 

イラっときて言い返した割には、地団駄踏んだあとやってしまった感を出しながらも後に引けない息子はそれを充分引き継いでいるのではないかな。

その後降りて来て私のふざけた会話には頑張って相槌打ってたよ。

旦那はそのまま爆睡してたけども。起きろ。

 

本人もいつかはやらないと単位が取れないことが分かっているから、色々頭がうわーってなってんだろうね。

 

早く他人との関わりを持ちなよ。

聡いから狭い世界にいたら余計に歪むよ。

全ての人間が敵だと思う時期はあっていいと思うから、ぼちぼちそこから出て来なさい。

絶対楽しいから。絶対。これだけは本当だから。

 

バイトも早く勇気を出してやってごらん。

給料日にその金持って一晩で使い切ってみな。

これいらねーだろってもんを買ってみな。

 

無駄な経験の笑い話になるから。

 

そして息子は自室でzoom授業中。

今旦那は娘の勉強を見ている。

 

私はやっぱりタバコとコーヒーで犬を撫でている。

 

 

歌の印象

米津玄師が好きなのだけど、たまたまテレビで米津玄師のLOSERが流れていた。

私は能天気に『米津玄師だー!』と言うだけだったがふと、娘に言われた。

『この歌を聴くとねぇ、高知から、高速乗って、大阪に向かってる車の中を思い出す。

なんだか少し寂しいと言うか、悲しい感じなんだ。

なんでだろうねぇ。後はあんま覚えてないくせに』

 

旦那に『お母さんが車中でかけまくってただけだろ』と言われて話は終わったけど、ぼやっと今日その会話を思い出しながら仕事帰り歩いていたんだけど、車でエンドレスでいろんな音楽をかけていたのになぜそれがピンポイントで娘は思い出すんだろう…?

聴き慣れた邦楽も洋楽も、4時間半の車中でごちゃ混ぜにかかっていたのに。

 

あぁ、そうか、多分あれだ。

 

今まで私の背中を後押しして、私の心配ばかりして、大阪行っちゃえ行っちゃえとしか言わなかった母が、打った事ないLINEで

『さみしい』と一言言ってきて、思いも寄らなかったからボロボロ私が車で泣いてしまった時かも知れない。

 

子育てをするにあたって、色々な場面で嬉しい事も悲しいことも散々泣いたけど、実際娘や息子の前でさめざめと泣いたことなど思い出せるくらいしかなかったから、娘にはなんとなく悲しい印象を与えてしまったのかもしれない。

 

君の前では2回目だったかな。

1回目はお兄ちゃんは学校行かないでいいのずるいなと言った言葉に、いっぱいいっぱいだった私がキレて泣きながら君を責めた時。

 

責められる事など微塵もないのに、私は深く傷付けてしまったな。

あれはダメだ。あれは後悔でしかない。可哀想に。本当に可哀想に。

素直な娘は私を傷付けたと、もっと深く傷付いた。

 

その傷は私のせいだ。君は何一つ悪くない。

私は死ぬまで後悔するだろうし、しなければならない。

 

そしてそれからの車での号泣。

娘には2度目の母親の涙にきっとびっくりしただろう。

でもあれは大丈夫。

傷ついて泣いた訳じゃないよ。

私が、お兄ちゃんの会社の事、両親の店の事、お祖母ちゃんの介護の事色々に後ろ髪引かれていた事を知っていたはずの母から、あっさり大阪に行く方がいい、家族は一緒にいた方がいいと言われ、肩がストンとなったのに、最後の最後タイミングよく本音を言われちゃったからね。

くるよね。

 

大人になったらお前も分かってくれる涙だろうよ。

 

子供の思い出や印象はこうやって作られていくんだね。

 

今は、自分でもびっくりなんだけれど、笑い過ぎて泣く事が増えてしまった。

 

腹を抱えて笑い過ぎて、涙がポロポロ出て、ツボることが増えた。

 

おそらく、父や母は大好きだったけど、やはり人の目として気にして発言したりしてたから、気は張っていたんだろうと思う。

 

四人の生活になって、もちろん子育てに余裕が出来たと言うのも大いにあるだろうけど、気を張る相手、気を使いすぎる相手がいなくて、自由な感じが楽しいのかもしれない。

 

子供や旦那の前では言えるけど、パート先のお兄さんにほのかな恋をしているなんて、親の前では言えないしなぁ。

旦那はそれを聞いて少しプンスコしながらも

『まぁでもよかったよ。楽しそうで。よかった』と言ってくれる。

そんな夫婦で完結出来る会話も、両親がいたらあらぬ方向に行きそうだしね。

 

寂しさは充分あるけれど、開放感の方がより大きくて、家族やパート先の人との会話が楽しいのかもしれないな。

以前のパートも楽しかったけれど、身内の会社だから、そこは心のどこかで一線を引いていたね。

少しそれはしんどかったな。

しんどいことばかりじゃなかったけど、そこはしんどかったな。

 

だから家でゲラゲラ笑い過ぎて、笑いジワが最近気になるわ。

加齢のせいかしら、笑いのせいかしら。

 

今はまだ、大阪に来て、布団で声を殺して悲しみで泣く事はない。

 

よかったよ。

脳の使い方

言葉の捉え方は人それぞれなのだけど、そんな話になった時旦那がふと、言い出した。

 

言葉を言葉としか捉えられない。

 

そのままの事なのだけどとてもよく分かる。

 

漫画や映画で決め台詞を聞いて感動することはあってもただそれだけで、それ以上でもそれ以下でも考えたことがない。

 

ことの発端はニュースを見ていて海外のことわざを聞いた時だった。

私が

『どんなに文明に差があっても、肌の色が違っても、人間てみんな同じような知能しか持てないのかな。

どんぐりの背比べみたいだね。

地球の遥か北で「これはいい例えだ!ことわざと名付けよう!」と盛り上がっていたら、遥か南の方でも同じような現象が起こってるんだ。

結局は人間は人間である以上人間の考えしか持てなくて、それ以上でもそれ以下でもないんだねぇ。

そりゃそうか、人語以外の言葉なんて生まれないもんな。』

と言った時だった。

 

『俺は、俺はその感覚すら分からない。ごめん。俺はいつも思うけど、そこまで流れてきた一言で世界を広げたことがない。言葉を言葉としか認識してないから、俺の頭の中でそこまで考えた事がない。

お前が教えてくれる詞や文字にも、そこまで考えた事がない。

だから羨ましい。そして少し寂しい。

俺には分からない世界を持ってる。』

 

と言われた。

 

寂しいのか。そうなのか。

 

私は、算数と英語がとても苦手で、数学は全く分からない。

英語は英語どころかアルファベットを書くのも苦手。

携帯の登録にアドレスを記入する際も、息子や旦那が隣にいて、一文字ずつ確認してもらわないと自信がない。

店の人間はきっとそんな私を、頭の弱い女だと思うだろう。

そう考えると隣の息子や旦那に申し訳なくて恥ずかしくて、尚のこと書けなくなる。

 

子供達と旦那が勉強で盛り上がっている時も、私は1人だけ入れない。

少しでも理解しようとしたけれど、元々興味もないので何度勉強しても覚えられない。

その内に子供達の勉強は難しくなって、私は置いてけぼりを食らう。

頭の悪い母だ。

 

旦那の言う寂しいは、その時の寂しさと似た事だろうか。

 

その時、ふと思ったのは、脳の使い方が違うだけなんだろうなぁと思った。

 

作文や、言葉の意味を書く勉強はよく出来た私とは反対に、旦那は黙々と解いていく勉強がよく出来た。

 

『でもお母さん、英単語も、これどんな単語だっけ?ですぐ答えたりするじゃん。あれなんで?』

と子供に聞かれたけど、それは映画で俳優が言ってる言葉と字幕をすり合わせているからだよ。

あ、こないだもこの発音の時この和訳が出た!って勝手に覚えていっただけ。

だから書けない。スペルなんてとんでもない。

最近になってやっとYESの3文字覚えたのに。

 

反対に旦那はすぐすらすらと書けるけど、そんな言葉、あの映画で出たっけ?と言う感じだった。

 

何が言いたいかと言うと、少し笑えた。

 

私の頭が弱いのは学校に行ってなかったから、学校で勉強しないだけでこんなに頭が弱くなるのかとずっと心のどこかでコンプレックスがあったから。

 

不登校などしなければ、もしかしたらそこそこの高校に行けてたかもしれないと思いたかったから。

思っても仕方のない事だけど、一般的な道を歩む人と少しでも肩を並べたかったから。

 

でも多分そうじゃない。

 

多分私は学校に真面目に行ってても勉強は出来なかったよ。

全くダメだったと思う。

小学生までは成績良くても、数学や英語が入って、私ももれなく成績はガタ落ちして、諦めて遊び呆けてたんじゃないかな。

 

でもそれでいいし、私はその道を行かなかったのだからどっちでもいい。

 

使う脳が違うだけでこれこそが人間の得手不得手だと思った。

 

子供達も達者なもんで、勉強は旦那に教えてもらいたいのよ。

私には道徳を聞きにくるのよ。

 

お互いさぁ、寂しいと思う前にさ、子供に置いてかれないように常に学ばないとねぇ。

 

それぞれの分かるところを。

言葉の重み

不登校を経験して、不登校児の子育てを経験しても、いまだに難しいなぁと頭を悩ませる事は沢山ある。

 

『今は見守って』や『お母さん頑張りすぎないで』『学校くらい行かないでも大丈夫』『生きてるだけでいいんです』と言うアドバイスめいた優しい言葉もその一つ。

 

あくまでも私は、と言うことにしておくけれど。

 

その言葉は確かに間違いはなく、優しい言葉でもある。その通りである。

義務教育中の不登校児がいなくなった我が家としてはまぁ確かにその通りだったな…。と言うしかない。

だけど当時その言葉達で救われたかどうかと言うとさっぱりである。

今思い返しても『本当だ!どうにかなったね!』と思い出してあははと笑えるかと言ったらそれもさっぱりである。

 

親は必死なのである。

刹那的な生き物を育てている訳だから、あやふやな何とかなるを言われても頭に入っては来ないし軽くもならない。

その場ではスッキリしました!と思ってもそれは単純に話を聞いてもらったすっきり感であって、家に帰って日常に戻るとそんなもの消えて無くなる。

お互い死んでやろう殺してやろうまで葛藤する感情の中に、そんなお花畑の言葉は入る隙間などない。

 

でも、なんとかなる、大丈夫と言う言葉が出るのもすごく分かる。

元気付けよう、慰めようとするとその言葉しか出ないのも分かる。

 

私は、私ならどうかな…。

どちらの気持ちも少しは分かるから、きっと感情や経験が溢れすぎて、溢れた中から言葉を選ぶことができないかもしれない。

こう言う道もある、こう言う施設もあると教える事も出来ないかもしれない。

てか必死すぎてボヤッとしか実は覚えてないのは私の頭の弱いせい…。

あの施設の名前何だったっけ?どうやって通ったんだっけ?電話番号残ってたかな?

程度にしか覚えてないな…。

しかもそれが明確に子供達の将来にとって役に立つ道なのかと聞かれたらそれこそ分からないや。

 

その引き裂かれる様な痛みの悲しみは分かるよ。と同調しか出来ないから、相手を傷付けない、優しいその言葉は選ぶのがとても難しい。

 

私が片思い中のお兄さんはそれをいともたやすく私に言えたのだから大したものだともしみじみ思った。

重い軽いは関係なくね。

 

 

 

そんな時ほど『何とかなるから大丈夫』と言う言葉はあやふやで曖昧で頼りがいのない言葉はない。

 

私は一体何を学べたのだろうと思う。

自分が不登校児で、少しは子供達の気持ちが分かるとタカを括っていた。

子供達の気持ちも分かるし、自分もどうにかなったのだからその親にも大丈夫!と自信を持って言える!

そんなものかき消された。

甘い。

 

親子の数ほど人の感情の種類はあるけれど、共通する事と言えばそんなあやふやな叱咤激励はさっぱり効かない事が分かった。

 

未来に明確な物などないけれど、明確な何かが欲しくてもがいている人間には藁にもならない。

ならないのは多分どの親も分かっているから。実は心の奥底で、そんなアドバイスや慰めは既に分かっているから。

 

そう考えるとカウンセラーやアドバイザーは奥深いな。

ある意味恐ろしい。

私はなれそうも無いや。

 

ただ、これから出会うかもしれないそう言う親と友達になったら、話しを聞いてあげるしか出来ないや。

 

あぁ、なんにも学べてないなぁ。

 

とりあえずは自分の子供達をまだまだ育てないとなー。

 

 

書いていた物

私が不登校をしていた時、ひたすら絵を書いたり漫画を読んだりゲームをして過ごしていたのだけど、一度だけネームを書いて、原稿用紙に下絵を描いて、ペン入れ、トーンを貼って完成させた漫画がある。

自分をモデルに描いた漫画だった。

 

どう言う思いだったのか人に知って欲しくて描いた漫画だったけれど、結局誰の目にも止まる事なくその原稿は無くなってしまった。捨てた気もする。

 

絵は拙くて、物語も物語と言えるほどの、人に見せられる様な立派な物ではないと思うけど、時々ふとまた見返したくなる。

 

まぁでもいいや。昔の私が色々決別するために捨てたのだろう。

 

忘れた頃に思い出す程度のその原稿は今も行方不明で、捨てた気がするなぁが大きいけど、たまたま娘とダラダラおしゃべりをしていた時に聞いてしまった。

『あのねお母さん、あのね。お兄ちゃんには、お母さんが嫌な気がするかもしれないから黙っとけって言われたけどね、あのね、お母さんが昔描いてた漫画、この前高知に帰った時に見つけちゃって、見ちゃった…』

 

ドキリとした。

どんな内容だった!?探してたのそれ!!と食い気味に聞いてしまった。

 

しかし話を聞いて行くと、同じ内容ではあったけれど、ネームの方だった。

ノートに描いた下絵。

しかも数ページしか描いてないやつだった。

最後まで描いたネームは別のノート。

 

なんだ…ちょっと残念。

 

『お母さんが自分のことを書いたのかなぁって思って、すごく死にたかった所が悲しかった。一番最初のページが、手首から血が流れていたから悲しかった。でも、お兄ちゃんが、すごくうなずいてて、すごく分かる。って言ってた。悲しかったけど最後まで書いてて欲しかったなぁ。最後が気になるなぁ。』

 

そうか…それはすごく残念。

 

そうならば君達に見せたかったな。

本当に見せたかったな。

 

私は結局何一つやり切ったものがないな。

私はバカだな。単細胞だな。

 

そもそも私は面倒くさがりだから、物を大切に保存するのが苦手でね。

その時いらないと思ったらすぐ手放すんだ。

物も、人も、気持ちも。

 

そのネームの続きを今描いても意味が無いからな。

残念だなと思う。

てか漫画なんてもう20年近く描いてないしな。

もう描けないや。

 

あー残念!

 

物語の最後はね、実は自分でもおどろきなんだけど、なんだかんだでニコニコしながらパン屋で働いてて終わりだったよ。

 

そこはすごいだろ。

予知してたみたいだろ。

 

 

 

 

 

距離

私には学生の時からの友人と言うものが存在しない訳だけど、これといってそれが今までの生活に不便があったかと言うとそれは無かった。

 

そもそも人との付き合いで私から会おうと誘う事はほぼ無くて、昔から人から誘われたらフラフラと出て行く感じなのだけど。

若い頃からの友達がいなくても生きては行けるし、居た方が幸せだとかは毛頭思わないけれど、いたら楽しい思い出が増えたかもなぁとは最近になって思うから、ちゃんと繋げていけばよかったな、その関係性を。とは思う。

 

私がパート先で片想いしている男性の交友関係を聞いてから、ふと思うようにはなった。

いや、本当は以前から至る所で思っていたのかもしれないな。

 

十代の頃のバイト先で仲良くなった人とはもうすっかり連絡を取らなくなった。

あれほど遊んでいたのに。

何をするでもなく車を転がせて、朝から晩までかけて、高知県の端から端までドライブをしていたな。楽しかった。

大体海岸に車を止めてずっとお喋りしていた。何を話していたかなんてすっかり忘れたけど、辺りが暗くなると花火をしたりして楽しかったな。

 

次に行ったバイト先は工場内の売店で、そこでも仲の良い人は出来た。一緒に一泊2日でディズニーランドにも行った。飲みにも行った。やっぱり楽しかった。

その人は丁度ワンオペ育児真っ只中で、やっと出来た一人の時間を使って私と遊んでくれた。

十代の私は、全く子育てを分かっていなかったから、今になって彼女が少しでも救われる言葉を言えなかったのではないだろうかと悔やむ。

 

工場出勤の現場のお兄さん達はしょっちゅう飲みに誘ってくれた。

明け方まで飲みながら喋り倒したこともある。

USJも一緒に行ったな。楽しかったな。

 

15歳年上の主婦の人とは今でも連絡は取るけれど、年に一回くらいかなぁ。

 

ヘルパーをしていた時は繋がりを持たなかった。

 

私の子育てが始まるとママ友が出来た。

月一で何人か集まってお茶をしながらあれだけ遊んだのに、今はもう連絡をとっていない。

息子が不登校になって、私もしんどくなって、その話に触れられたく無かったし、心配も同情もされたく無かったから、最低限の付き合いしかしなかった。

 

どうすれば長続きしたんだろう。

距離感が分からない。

みんな同年代じゃなかったからだろうか。

学校に行っていたら同級生とずっと繋がりを持てたのだろうか。

小学生っきりで繋がりをやめてしまったら、人との距離はそんなもんなんだろうか。

中学、高校、大学はねずみ算式の様に同年代の人間が増えるから、出会いもある。

距離を測らずとも知り合いは増えたのだろうなぁ。

 

今まで出会った人達がたまに『こないだ同窓会があって』と言う言葉は、私には分からない感覚の言葉だったけれど、すでにその時から少し羨ましかった。

 

今私と居るその間も、その人は過去があって別の友達がいるのだと思うと、私には無いから羨ましかった。

羨ましかった。と、同時に私には他に何も無いと感じる事もあった。

旦那が、小学生からの友達と連絡を取るときにそれは一番思った。

 

私は、目の前の人しかいないとさえ思った。

 

そう思ったら距離の取り方がわからなくなった。

相手に対して私は私が懐き過ぎると一方通行の様な気がして、重く取られかねないし、それは私の中にある妙なプライドが許さなかった。

友達がいないと恥ずかしいと言う世間一般のプライドだったんだろうな。

だから歪みやすい。どうせ新たに出会った人も、いつかは別れるのだから、そのつもりで付き合えば良いじゃん。と。

不思議とそうした一線は相手にも伝わりやすいもので、結局お互いその程度の付き合いになるのだろうな。

 

学生の頃からの付き合いは、どんなに私が足掻いても、喉から手が出るほど欲しても、もう手に入らない尊いものだよ。

そう思っている人間もいるんだよ。

何気無く、学生からの付き合いだよ。と言える相手がいる事を、羨ましがる人間もいると言う事をどうか忘れないで。

 

だからどうか子供達よ、絶対とは言わないけど、人間関係を粗末に扱わないで。

希薄にし過ぎないで。

ぼんやり思い出す位でも、長い付き合いは、それがあるだけで人生の軌跡だよ。

 

私の様に虚しい思いはどうかしないで。

 

 

人それぞれ

コロナの影響で色々仕事のあり方が変わって、不登校児の親といえども下の娘も旦那も家にいる毎日は、楽しいけども家は散らかるし米の消費が見事で、外に出にくいし職場でも客に『貴女も奥のお兄さんもマスクしてないじゃない!パンも袋に入ってないのがあるし。マナー違反じゃないの!?』と言われ、買って行ったのにその30分後やっぱり気持ち悪いから返品と言って返品されるし、逆に濃厚接触言いながら握手求めてくる客もいるしで少なからずストレスたまるよね。

コロナにと言うより頭の悪い人間にだね。

 

昨日、片想い中のお兄さんと仕事をしていて楽しかったのだけどもコロナの話をしていて、お兄さんが『かかって死ねと思う人間は確かにいるからなぁ。俺もその1人だし』みたいなニュアンスで言っていたの少し悲しかった。

どこまで本当なのさ。

 

少なからず貴方は、しがない主婦の金曜日の仕事を楽しみに変えてくれているくらいの存在ではあるのに、それではダメか。大した事ないか。

 

『最初の印象と違ってきたでしょう』なんて、それは否定的に聞いたのよね。

最初の印象と違ってきましたよ、良く知りなお楽しいですよと言う方向の私は、仕事中の合間合間にその返事を上手に言う技術など持ち合わせておらず、ありきたりに『そんなことないですよ』『そんな事言わないで』しか言えないのだった。

 

彼は妙にじっくり語り合いたい魅力があるな。

男友達として楽しそうだと思わせる魅力が。

同年代が羨ましい。

 

自分の仄暗い部分を、あぁ自分はこんな人間だからと持つ人間は割と人間的に聡い人が多いと思うのだけれど、暗い部分ばかりが目立つから自己嫌悪に陥りやすいねぇ。

 

でも私も息子も言っていたなぁ。

そうか、聞かされた人間はこうもなんとも切なくなるのか。

息子で分かっていたはずだけどなぁ。

想い他人に言われるとまたなんと言うか。

旦那にもこんな想いをさせてしまったのか。

 

悲しいけどお兄さん、早く彼女作って結婚して欲しいな。家庭を持ちなよ。

自分の価値を軽視できなくなるような鎖を打って、自分よりさらに大事な存在の為に生きていきなよ。

 

その時しばらくは私はロスで心が泣くだろうね。

 

早くウイルス落ち着かないかなぁー。