日記

なんとなく

不登校息子がバイトを始めて。

 

息子は殆ど家から出ずヤキモキしたあの3年後高校中退後暫く無職期間が経って、初めてのバイトの初めての給料で何をなさるかと放っておいたが、私とはえらく違っていた。
因みに私の初給料は15歳初っ端から週6フルタイムで働いたので当時600円と言う激低の時給ながらも12万ほど貰ったが、頭が少々弱いのでその日のうちに使い切ると言う暴挙を働いたことがある。流石である。宵越しの金は持たねぇ主義なんだ。
それよりもフルで働いた後に夜な夜な金を使い切れる体力がもはや羨ましい。
30歳を過ぎると人はオールが出来なくなる。

 

息子が使った物は母の日のプレゼントの花と家に入れるお金だった。
なんと今の若い男の子は優しさを表現する事が上手いことか。
花は私の棺桶に入れて一緒に燃やしてくれ。
彼が毎月入れているお金は彼にとってとても誇らしい現金だろう。
速攻その日の晩のステーキ肉に変わったが。
家族の血肉になった。

それまで学校に行くことが出来ないと言うたったそれだけの事実で、どれほど自分が情けなく社会に取り残されたかの様な孤独感と共に過ごしたことか。
これは親を含めた当事者にしか分からないであろう自己肯定感が駄々下りになる経験である。
死んでしまった方が楽であり家族に迷惑もかけなくなると言う若さ故の安直な思いと毎日毎日葛藤するのである。24時間365日である。
親からすると何気無く部屋を訪れたら子供が血まみれで自死してはいまいかと肝を冷やす事の多い毎日だろう。
ご飯だよと声をかけて『分かった』と返事があるあの安堵が365日ある。
それだけ色々ヤバイのである。
家にいるなら家で勉強すればいい、習い事をすればいい、塾に行けばいい、他に道はあると何度当事者では無い周りの人間に励まされただろう。
そもそも経済余裕も無い。不登校は世間で表に出てるほどなんの補償もない。とんちんかんな援助が多い。しかしそれを断るとあっさりとこちらが悪者になるのである。せっかくやってやったのに。我儘なのでは?
知らねーよお前は砂漠で水飲みたい人間に平気で蒸しパン渡すのかよ。蒸しパンには牛乳だろ。カフェオレでもいい。いやそう言う話じゃ無い。
学校に行けないのに勉強したい子がいるとするなら、昼間から勉強を教えてくれるフリースクールがあるし塾もあるが、それらは民間事業なので下手すると毎月6〜7万の月謝が発生するのである。更に学校の教材費や学費はそのまま取られる。給食費は止めてくれる所もあるかな。でもそれも学校に寄ってだな。
学校に行くのが一番安く手っ取り早いのである。しかし行けない。そして何よりもそれは本人が一番知っている。
辛そうに涙を流しうずくまりながらも学校に行こうとする子供を見た事があるか。
人目を憚らず親に引きずられながらも必死に泣きながら抵抗する子供の姿を見た事があるか。
1人孤独に教室の隅でクラスメイトに嫌がらせを受けながら耐える子供を想像した事があるか。
別室登校させてくれると融通を利かせてくれた風を装って、1人離れた小さな部屋でポツンと放置されて外を眺める子供を想像出来るか。
私自身は親の判断が早かったおかげでその経験は無い。むしろ不登校への社会的理解がほぼ皆無だった時代なのが私にはよかったのかもしれない。精神疾患並みに分断されるくらいの無理解だったし。親はたまったもんじゃなかったろうけど。今は理解は進んできたけど中途半端な理解のため色々面倒な事が多くなったのも事実。そして私は息子にそれを強いてしまった期間がある。悔やまれる。私は馬鹿だ。本当馬鹿だ。

 

その時にはもうひっそりと静かに息をするだけで精一杯の精神状態である。
転職と言う逃げ道がある大人でもそうなるのに、精神も体もまだ成長途中の未熟な心で自分の意思では行き先も選べない歳なら如何程のものか。
鬱の人間に『頑張れ』と言わない方がいいと言うのはそう言う事である。既に今際の際に近い人に頑張れと崖先で押している様なものである。
自分は日常生活すら出来ない何の意味もない無駄な命なのかと更に追い込まれる。
しかし死にたくは無い。死にたいのでは無い。生きたいも死にたいも無い。その苦しみからただ解放されたいだけで実は事は単純なのだけれども、それが難しい。

目に見える怪我は安静にさせてくれるけど心に負った怪我は見えない分周りからも訝し気に見られ、またその目に傷付く。
誰でも少しのきっかけでなる。なった事が無いのはたまたまそのきっかけに出会わなかっただけ。
人の何が辛いのか、どれがきっかけになるのか誰も分からない。
あの時ヤバかったなーと思う時でも意外と平気だったり、逆にアレっぽっちの事で胃に穴開ける?ともなる。
因みに私は爆食いするといつも胃が痛くなるし大体それは高級料理の時が多い。

 

さて、ありがとうと言われ息子の満更でも無い顔を見ると気持ちがとてもよく分かる。
学校に行かず塾にも行かず習い事にも行かない何者にも属されて無い自分のポジションへの変化の活路が見えた気がして嬉しい。
とてもよく分かる。
私も生活費とは程遠いであろうたった二万だが毎月母に渡すのが誇らしかった。
そのくせ全ての給料を一晩で使い切ってしこたま怒られたことはあるけれど。今となっては可愛い思い出である。
翌月倍取られた記憶も忘れては無い。当時家計がシビアだったので仕方ない。

 

ふとした時に、妹にジュースを買ってくれたり、文房具を買ってくれたり、ゲームを買ってくれたり、おやつを買ってくれたり。
果たして私にそんな兄妹を想う心などあっただろうか。いや無い。頭に無かった。むしろ兄貴なら奢ってくれよとさえ思っていた。
あわよくば人の金で寿司食いてぇと思っていた。完全に息子のそれは旦那家の血である。よかった。
しかし先月『ヤバイ。ゲーム機買ったら八万一気に消えた』と給料日から2日後くらいに言っていたのは笑った。それでいい。いや、よくない。いいのか?


でもそのゲーム機で兄妹で仲良く遊んでいる。
地元の友達とやっているのは別のゲーム機か?増え過ぎてよく分からん。とりあえず企業はコードを一本にまとめてくれんか。あとコントローラーも。種類がヤバイ。そして機材が入っていた箱はどうすればいいのか途方に暮れている。捨てていいのかアレは。いっそ袋で売ってはくれまいか。保証書と説明書は機械にしまえる引き出しをつけて欲しい。て言うか脳に埋め込んでやりたい時にゲーム中のステータス表のようにホログラムとなって現われる開発はまだなのか。いっそSAOが早く開発されて欲しい。絶対私が欲しい。弱いモンスターばっかり相手に日銭を稼いでダラダラ生きるがそれはリアルと変わらなさそうだしますます堕落しそうなのでダメか。モンハンすら近所でブラブラして終わる。思い立ったように遠くに旅に出ていきなりの強モンスターにやられてそうだ。誰か助けて。

話が逸れた。

 

私が息子に対して感慨深かったのは金の使い方に対してだった。

大切な人に何かを買って喜ばせたいと言う使い方。
誰もが持っていそうな感情だけに見過ごしやすいけれど、16歳の子供が誰から教わるでもなく、有限の自分の時間を使い、自分の為だけに使える筈のお金を、自分の為では無く、家族を喜ばせようと思い立ったのかと、その姿を想像すると何ともいじましくも愛しい感情である。

 

私は2回目の給料の時マクドナルドのチキンナゲットをアホほど買った。子供の頃朝ご飯はパン食だった我が家は付け合わせにチキンナゲットがごくたまに出た。しかし1人一日二つまでしか母が許してくれなかった。そう、チキンナゲット、大人になって気が付いた。朝食の付け合わせに毎日はまあまあ高い。更に食べ盛り三兄弟。しかし子供はそんな事知らぬ。食パンなんかいらねぇ!チキンナゲットだけ満腹食べさせてくれ!そうたらふく食べてみたいと小さき頃からの長年の夢を果たすべく、アホほど買って一人で食べた後、嘔吐に見舞われた武勇伝がある。
あれはヤバかった。
3回目は桃だった。桃という高価な果物は我が家では争奪戦が毎回開催されていた。父と兄2人と私の4人で母がカットしてくれた2玉の桃。一番年下で食べるのが遅い私が満足な数を食べるなど叶うはずも無い。特に桃は父の好物、更にそれを子供達に譲る様な親では無い。真っ先にフォークでぶっ刺すタイプだ。今なら分かる、分かるぞ親父。何故なら私もそのタイプだ。そしていつか自分で稼ぎ出したらたらふく桃を食ってやるんだと言うそれはそれは壮大な夢を叶えるべく。
桃は美味かった。
母はその時台所でこっそりカット後のタネの周りの実を食べていたらしい。なんて聖母。
今では私はその聖母になるべく種回りの実とカットされた実両方食べている。
桃だけは子にも譲らない。むしろみんな譲ってくれる。そんなに私の桃への執着が凄いのか。

 

ケーキが好きなのにケーキの爆食いをしなかったのはケーキ屋にいたからそれは事足ったからでした。

 

話がまた逸れたけど、そこで私は息子ほど家族を想って何か形のある物をしただろうかと一抹の不安を覚えた。
しかし一抹だったのでまあいいかで終わった。

 

何が言いたかったかと言うと、息子の金の使い方に安心したなと言うお話し。
ただ貯金はしろ。私はしなかったけど。
海外にゆくゆくは行きたいのなら貯金はしてくれ。

 

【40代、無職、実家暮らし、親の年金で生活】と言うカテゴライズされた人間がニートだなんだと揶揄するニュースを見た時、若い頃の私はこいつは何の為に生ているのか、母親もさっさとこんなゴミ捨ててしまえばよかったのにとよく思ったけれど、今ならその庇う母親の気持ちも少し分かる。まぁそれもその人間によるけどもね。
平気でそいつ本人がインタビューに答えてヘラヘラしているとぶっ飛ばしたくはなる。

 

いくつになっても彼女にとって子は子であり、赤子からの記憶がずっと彼女からこびりついて離れない。
一番社会生活に馴染んで欲しいと心が張り裂けそうな程願っているのは彼女だし、しかし生きているだけでいいと切に想っているのも分かる。他人がとやかく言える事では無い。とやかく言うなら金くれよと言った感じだよな。
お前らは口だけ出して金はださねぇ二世帯住居を建てたがってる小姑かよ。
キッチンとトイレと風呂は二つずつがオススメです。
そもそもその前に小姑同居はやめろ。
私みたいな小姑ならいきなり可愛いペット飼っちゃった☆とか言いながらナマケモノ放し飼いし出す恐れがあるから。
嫁さんが綺麗に整えたベビーベッドにある日いきなり小姑のナマケモノが寝てたらしばきたくなるだろ。しかしナマケモノは飼いたい。

 

やはり話が逸れた。

 

とにもかくにも息子にも娘にも生きていて欲しい。
それだけが私の願い。
でも人間欲深い物でそれが日常になると、欲という名の願いが増える。
あわよくば生きる事プラスに、楽しい事を沢山してほしいし、あわよくば楽しい仲間に出会えて欲しいし、あわよくば就職してほしいしあわよくば自立して欲しいしあわよくば私にお小遣いくれると嬉しい。それは嬉しい。