日記

なんとなく

年が明けて

パートにも慣れて息子の道が見えて来て今は凪の様に落ち着いている。

充実とかそう言うんじゃなくて、とても落ち着いている。

 

 

パートで慣れて来た分人との関わりも出来てくるわけだけど、割とトラウマをえぐられるなぁと思う事も増えた。

深く無い分、自分だけが思っている分だけだからきっととてつもなく大したことのないモノなのだけれど、たまにチクチクとなる。

地域柄なのかハイソな人間が多いので、やはり主婦でも学生でも学歴も高く感覚が少し違う事だろうか。

全く嫌味の無いお高くない人ばかりで、人柄に恵まれている。それだけは確かだ。

 

ただ、私だけが中卒だ。

 

今更、そんな学歴なぁ。と、分かっているし、同じ様に私なんて…と言う人を見たらきっと今更!と思うけど、時々ふと泣きそうになるくらい私は世界が広がらない。

高校や、大学や、専門学の世界など、その中の世界でしかないから、それらが広いとも思ってはないし狭いとも思っていないと言うのも分かっているけれど、やっぱり私はそれらから更に狭い世界だったんじゃないかなと虚しくなる。

だってね、Twitterにいると忘れてしまうけど、やっぱり中卒で家に引きこもって、バイト転々として、ふらりふらりと生きて来たなんて、言えないんだよ。

言えないくらい周りが経済的に恵まれていた地域と言ったところかな。

あれこれ行こうと思ったら行けたんじゃないの?と言う疑問も、経済力と、活力と、地域の発展による事から説明しないと本当に文字通り分からないからね。

 

望む学校に行けると言うそれだけでどれだけお金がいることか。

 

きっと私は口のよく回る面白いパートなんだろう。二十代後半の若い女の子や男の子に懐かれる様に笑いながら話しかけられて、フォローもして貰って、あぁ、よかった、私は嫌われているタイプのおばちゃんじゃないか、よかった。と思わせてくれるのは素直に嬉しいし自分にも自信が持てるけど、行った事のない高校や大学の話をされると、微笑んで聞くことしかできない。

高知の時は経済力の似たような周りだったからそんな話が出ても『いや私行ってないから知らないけど楽しそうだな!』と言えた。

だってそう言ったら笑いながら『行っても大して勉強しなかったから今思ったら金勿体なかったねー!』と返ってくるか、大学や専門は余程お金の余裕のある家庭が、よっぽど行きたいが為に行くものだと言う認識だったからね。

料理や製菓なんか特にかな。

片田舎の調理の専門学校に中途半端に高い学費を払って行くなど、お金に余裕がある家か、ある程度歳を取るまでお金を貯めた人か、あとは直接店に足を踏み入れてその日から見習いとして働くか。

そこからが違う。

不登校があっても無くても、専門を学びたいならすぐその学校へと言う認識なのだ。

 

経済力の違いでこうも見る世界は変わってくるのかと思った。

 

私は頭が弱いからな。

 

その一言も高知の時やTwitterで呟く時の重さと、今の重さと違う事に気がつく。

とてもネガティブで卑屈に聞こえてしまう気がするな。

多分卑屈になっているのは私だけの中のこと。だから人にそこまで言うつもりもないし言わないけど、ブレーキはかかるかな。

 

だからと言って環境が合わず辛いのかと言う訳ではない。そこまでもういい歳だし弱くないよ。しんどくなったらさっさと身軽に辞めて他探す。

だだ、息子にもそう思って欲しく無くて、無意識に強要してないかなぁと考える事はある。

 

実は私がコントロールしてないか?

それはきっと親の永遠の課題なのだろうかな。

 

いやでも、私が社会でスタートした同じ歳から、経済的余裕は無いけれど、田舎よりも恵まれた環境でスタートする息子はまた違った世界かもしれないな。

と言うか一部地域だけだからな。ハイソな人が多いのは。

 

やっぱ梅田より南でパートすれば似たような人がいたかもな(笑)

 

でも住みやすいんだよここら穏やかで。