日記

なんとなく

距離

私には学生の時からの友人と言うものが存在しない訳だけど、これといってそれが今までの生活に不便があったかと言うとそれは無かった。

 

そもそも人との付き合いで私から会おうと誘う事はほぼ無くて、昔から人から誘われたらフラフラと出て行く感じなのだけど。

若い頃からの友達がいなくても生きては行けるし、居た方が幸せだとかは毛頭思わないけれど、いたら楽しい思い出が増えたかもなぁとは最近になって思うから、ちゃんと繋げていけばよかったな、その関係性を。とは思う。

 

私がパート先で片想いしている男性の交友関係を聞いてから、ふと思うようにはなった。

いや、本当は以前から至る所で思っていたのかもしれないな。

 

十代の頃のバイト先で仲良くなった人とはもうすっかり連絡を取らなくなった。

あれほど遊んでいたのに。

何をするでもなく車を転がせて、朝から晩までかけて、高知県の端から端までドライブをしていたな。楽しかった。

大体海岸に車を止めてずっとお喋りしていた。何を話していたかなんてすっかり忘れたけど、辺りが暗くなると花火をしたりして楽しかったな。

 

次に行ったバイト先は工場内の売店で、そこでも仲の良い人は出来た。一緒に一泊2日でディズニーランドにも行った。飲みにも行った。やっぱり楽しかった。

その人は丁度ワンオペ育児真っ只中で、やっと出来た一人の時間を使って私と遊んでくれた。

十代の私は、全く子育てを分かっていなかったから、今になって彼女が少しでも救われる言葉を言えなかったのではないだろうかと悔やむ。

 

工場出勤の現場のお兄さん達はしょっちゅう飲みに誘ってくれた。

明け方まで飲みながら喋り倒したこともある。

USJも一緒に行ったな。楽しかったな。

 

15歳年上の主婦の人とは今でも連絡は取るけれど、年に一回くらいかなぁ。

 

ヘルパーをしていた時は繋がりを持たなかった。

 

私の子育てが始まるとママ友が出来た。

月一で何人か集まってお茶をしながらあれだけ遊んだのに、今はもう連絡をとっていない。

息子が不登校になって、私もしんどくなって、その話に触れられたく無かったし、心配も同情もされたく無かったから、最低限の付き合いしかしなかった。

 

どうすれば長続きしたんだろう。

距離感が分からない。

みんな同年代じゃなかったからだろうか。

学校に行っていたら同級生とずっと繋がりを持てたのだろうか。

小学生っきりで繋がりをやめてしまったら、人との距離はそんなもんなんだろうか。

中学、高校、大学はねずみ算式の様に同年代の人間が増えるから、出会いもある。

距離を測らずとも知り合いは増えたのだろうなぁ。

 

今まで出会った人達がたまに『こないだ同窓会があって』と言う言葉は、私には分からない感覚の言葉だったけれど、すでにその時から少し羨ましかった。

 

今私と居るその間も、その人は過去があって別の友達がいるのだと思うと、私には無いから羨ましかった。

羨ましかった。と、同時に私には他に何も無いと感じる事もあった。

旦那が、小学生からの友達と連絡を取るときにそれは一番思った。

 

私は、目の前の人しかいないとさえ思った。

 

そう思ったら距離の取り方がわからなくなった。

相手に対して私は私が懐き過ぎると一方通行の様な気がして、重く取られかねないし、それは私の中にある妙なプライドが許さなかった。

友達がいないと恥ずかしいと言う世間一般のプライドだったんだろうな。

だから歪みやすい。どうせ新たに出会った人も、いつかは別れるのだから、そのつもりで付き合えば良いじゃん。と。

不思議とそうした一線は相手にも伝わりやすいもので、結局お互いその程度の付き合いになるのだろうな。

 

学生の頃からの付き合いは、どんなに私が足掻いても、喉から手が出るほど欲しても、もう手に入らない尊いものだよ。

そう思っている人間もいるんだよ。

何気無く、学生からの付き合いだよ。と言える相手がいる事を、羨ましがる人間もいると言う事をどうか忘れないで。

 

だからどうか子供達よ、絶対とは言わないけど、人間関係を粗末に扱わないで。

希薄にし過ぎないで。

ぼんやり思い出す位でも、長い付き合いは、それがあるだけで人生の軌跡だよ。

 

私の様に虚しい思いはどうかしないで。