日記

なんとなく

久しぶりに

ずいぶん月日が流れたけれど

息子の安定と共に落ち着いて来てしまい

ボヤッと書くことが少なくなった。

 

1月からするとそうだなぁ、パートはもう慣れた。

息子は通信制高校に入学した。

1月には想像しなかったコロナウイルスで今はどこも休校中って所かなぁ。

 

三月の卒業式は息子は旦那と一緒に校長室まで卒業証書を取りに行った。

学ランは入るはずもなく、旦那のスラックスとカッターを着て行った。

担任に忘れ去られたように、同級生が卒業証書を持って来て今日で卒業かと気付いた私は経験しなかった卒業だった。

こう言う卒業式もあるのか。

 

その時私はパートに出ていたけれど、パン屋の大きなガラス窓から別の地区の中学生が花を持って、胸にリボンを付けて楽しそうに帰宅する姿が見え、純粋に微笑ましかった。

そのあと少し切なかった。

息子にもあの輪に入ってバカみたいにはしゃいで笑っていてほしかった。

でも見ただけでそれなんだ。そんな微笑ましい他所様の子供がキラキラした姿で自分の娘の卒業証書を持って来た時の母の姿を想像すると何よりも泣きたくなった。

それについて多くを語らない母は偉大だと思った。

 

5月初旬まで休校中だから、特にこれといった変化はないけれど、高校の写真付きの学生証を見た息子は『これで俺もやっと高校生か。何をしようかな』とはにかみながら嬉しそうに漏らした言葉は心底本音だと思った。

いきなり放り込まれた自由は時にとても不自由だから、きっと戸惑うことも多いだろうけれど、確実に楽しくなるから頑張れ。

大人の方が楽しいよと言い聞かせた意味はそこにあるんだよ。

あぁ、頑張れ頑張れ。

 

そんな中私はパート先で年甲斐もなく(まだ若いけど)10歳も年下の男性にほのかな恋をしている。

あ、旦那とは仲良いですよ。

そう言うドロドロしたのを願っている訳ではなくて…。

男性的にと言うより人間的にだろうか。

店舗の違う所で働いているその男性は最初は電話だけのやりとりだった。

とても穏やかな聞こえのいい音だった。

優しさが音になったような声。

他の人は分かってくれなかったから、きっと単純に私の好みだったのね(笑)

 

色々店の事情があって年末辺りからその店舗のシフトにも入るようになった私は、会って話をしてますますファンになったのだった。

初日からよくニコニコと話しかけてくれる人懐こい人で、ひょんな事から自分の学歴の話になった。

気を使わせたく無かったので言い渋ったけれど、一度言えばまぁ向こうも引いてもう聞いてこないか、ならそれが楽か、と思い私は自分が不登校であったことのさわりを言った。

あ、そうなんですか!とお互い軽く笑いながら言ったあと、お互い仕事を続けていた。

私も一瞬何を話していたか忘れた頃に

『俺はダメですね…言葉が咄嗟に出てこない。相手の言葉に対して、適切な言葉を選べない…』とポツリと苦笑いしながら漏らした。

あはは、その数分それ考えていたの?

なんて優しい人なんだろう。素敵な男性だと思った。

優しい言葉をかけられなかったからと言って、気にして傷付く歳じゃないですよ。

それ以上に貴方のその呟きはとても心地のいい優しい言葉だと思いますよ。

まさにそのセリフが適切な言葉だったのじゃないかなぁ。

 

それからはその店舗のシフトがとてもとても楽しみになった。

今日は何を話そうか、どんな日になるだろうか。

 

その人は先日会話の中で自分の事を親からとったらポンコツだからと話していた。

あれにはどれ程の重さが含まれていたのかは分からないけれど、みんな色々あるんだなぁと思った。

私があまりにもファンだと言うから、実際俺はそんないいものじゃないですよ…と言っていたけど、その意味もわかるよ。だてに10歳年上やってないよ。その上でのファンよ。

 

別の日はその人の同級生の女の子がパンを買いに来た。高校から仲の良い子らしく、恋愛にはならなかったの?と聞いたら、それは全く無かったと。

未成年の時はお互いコーヒーが好きで、その他に二人くらい似た様な友達とカフェに行って語り合い、今はお酒が大好きだから飲む時は4人で朝まで飲めると言っていた。

その仲を聞いて私は少し恥ずかしく思った。なんと下世話な事を。

そうか、そう言う仲間も存在するのか。

私は今までの人間関係の構築を深くはしなかったと思った。

大切にすればよかった。

いや、学校行ってなかったから大切にする同級生の縁もなかった訳だけど、共通の趣味を大切にお互い共有出来る時間を一緒に育める仲間が欲しかったと思った。

恋愛感情にならない異性の仲間はとても貴重だと思う。

羨ましかった。心底羨ましかった。

私は、友達が欲しかったんだ。

 

きっとその人の人間性がその縁を作ったのだろう。

すごく素敵で羨ましい。

 

でも私は、その人にほのかな恋心を抱いている訳だから、来世は頑張って大阪で10歳若く生まれるわ。そしたら仲間じゃなくて恋心をアプローチさせて貰うわ。

私の最初に声を聞いた時のその人の印象、優しさが音になった様な声の人、間違いじゃ無かったわ。

 

旦那、旦那は大丈夫。あの人もとても良い男だから、私よりもっと良い女の人と出会えるよ。

私と出会ってごめんね。

でも貴方も好きよ。

 

 

息子も娘もどうか、そんな善い縁に出会えます様に。

 

 

 

 

年が明けて

パートにも慣れて息子の道が見えて来て今は凪の様に落ち着いている。

充実とかそう言うんじゃなくて、とても落ち着いている。

 

 

パートで慣れて来た分人との関わりも出来てくるわけだけど、割とトラウマをえぐられるなぁと思う事も増えた。

深く無い分、自分だけが思っている分だけだからきっととてつもなく大したことのないモノなのだけれど、たまにチクチクとなる。

地域柄なのかハイソな人間が多いので、やはり主婦でも学生でも学歴も高く感覚が少し違う事だろうか。

全く嫌味の無いお高くない人ばかりで、人柄に恵まれている。それだけは確かだ。

 

ただ、私だけが中卒だ。

 

今更、そんな学歴なぁ。と、分かっているし、同じ様に私なんて…と言う人を見たらきっと今更!と思うけど、時々ふと泣きそうになるくらい私は世界が広がらない。

高校や、大学や、専門学の世界など、その中の世界でしかないから、それらが広いとも思ってはないし狭いとも思っていないと言うのも分かっているけれど、やっぱり私はそれらから更に狭い世界だったんじゃないかなと虚しくなる。

だってね、Twitterにいると忘れてしまうけど、やっぱり中卒で家に引きこもって、バイト転々として、ふらりふらりと生きて来たなんて、言えないんだよ。

言えないくらい周りが経済的に恵まれていた地域と言ったところかな。

あれこれ行こうと思ったら行けたんじゃないの?と言う疑問も、経済力と、活力と、地域の発展による事から説明しないと本当に文字通り分からないからね。

 

望む学校に行けると言うそれだけでどれだけお金がいることか。

 

きっと私は口のよく回る面白いパートなんだろう。二十代後半の若い女の子や男の子に懐かれる様に笑いながら話しかけられて、フォローもして貰って、あぁ、よかった、私は嫌われているタイプのおばちゃんじゃないか、よかった。と思わせてくれるのは素直に嬉しいし自分にも自信が持てるけど、行った事のない高校や大学の話をされると、微笑んで聞くことしかできない。

高知の時は経済力の似たような周りだったからそんな話が出ても『いや私行ってないから知らないけど楽しそうだな!』と言えた。

だってそう言ったら笑いながら『行っても大して勉強しなかったから今思ったら金勿体なかったねー!』と返ってくるか、大学や専門は余程お金の余裕のある家庭が、よっぽど行きたいが為に行くものだと言う認識だったからね。

料理や製菓なんか特にかな。

片田舎の調理の専門学校に中途半端に高い学費を払って行くなど、お金に余裕がある家か、ある程度歳を取るまでお金を貯めた人か、あとは直接店に足を踏み入れてその日から見習いとして働くか。

そこからが違う。

不登校があっても無くても、専門を学びたいならすぐその学校へと言う認識なのだ。

 

経済力の違いでこうも見る世界は変わってくるのかと思った。

 

私は頭が弱いからな。

 

その一言も高知の時やTwitterで呟く時の重さと、今の重さと違う事に気がつく。

とてもネガティブで卑屈に聞こえてしまう気がするな。

多分卑屈になっているのは私だけの中のこと。だから人にそこまで言うつもりもないし言わないけど、ブレーキはかかるかな。

 

だからと言って環境が合わず辛いのかと言う訳ではない。そこまでもういい歳だし弱くないよ。しんどくなったらさっさと身軽に辞めて他探す。

だだ、息子にもそう思って欲しく無くて、無意識に強要してないかなぁと考える事はある。

 

実は私がコントロールしてないか?

それはきっと親の永遠の課題なのだろうかな。

 

いやでも、私が社会でスタートした同じ歳から、経済的余裕は無いけれど、田舎よりも恵まれた環境でスタートする息子はまた違った世界かもしれないな。

と言うか一部地域だけだからな。ハイソな人が多いのは。

 

やっぱ梅田より南でパートすれば似たような人がいたかもな(笑)

 

でも住みやすいんだよここら穏やかで。

 

 

 

 

 

もどかしいねぇ

息子の高校もほぼほぼ決まり、方向性は見えて来た。

やっぱりプログラミングの勉強はしたいとの事なので、そちらの方向が強い高校。

だけど全日制では無く通信制

そこの通信制はそもそも通信制の学校を作りたかった訳ではなく、若いうちからそう言った世界に入って早く育って欲しいのがまずだったと言うだけあってなかなか自由度は高かった。

国の定めた最低限高卒認定と大学進学の為の勉強を取り込んで、それ以外は質の高い設備と講師を揃えてやる気のある子はがっつりIT世界を叩き込んでやるぜと言った感じだけど、自由度が高い分金額も半端無い。

一応補助は出ているけれど通信制の範囲内なだけで、IT系の勉強の部分はまるっと自己負担。

まぁそらそうだな。

 

通信制だけのコースなら補助もあって公立の通信制と変わらない値段だけど、そこから自分の学びたいコースをチョイスしていくごとに値段が上がると言ったシステム。

チョイスったって単価千円二千円の世界じゃ無いからね。

毎月最低2万以上増えます。ひぃ。

このコースでプラスこの授業もしたい!となったら極論すぐ月々の授業料四万くらい跳ね上がります。

そしてそれにプラス通信制の学費ね。通信制の費用は土台となって必ずありきの学費です。

 

学校自体は学校と言う建物では無く、テナントビルの中にある空間に設備を各県に整えている感じ。

ただコースによってやスクーリング(必ず登校しなければいけない日(年に5回))を考えると、高知でいたならば現実的では無かったかなと。

通信制のみしか選ばなかったらまぁスクーリングのみ交通費がいるくらいかな。

まだまだ開校数年なので拠点が少ないのが難しいかなぁ。

 

息子の場合

 

『英語と数学は勉強したい』

    ↓

通信制内で出来る

    +

市が週一までなら無料援助してくれる塾(週二〜6千円負担)が近くにある(レポートも見てくれる塾)

 

『バイトは絶対したい』

    ↓

全日制では無いので日によっては何時間でも出来る

又は学校内でプログラミングの成績が認められたら

企業を斡旋してくれ

インターンとしてバイト先を世話してくれる

 

『プログラミングを習いたい』

    ↓

特化している学校なので一流設備と講師がいる

 

そして何よりどのコースを選んでも通える距離なのが大きい。

 

実はそう言ったことも思って引越したのも少しある。本当少し。先見の目を持った私を褒めておきます。

 

金額の事も、恵まれた環境の事も、全て息子に伝え、三つの希望はほぼ叶えられると伝え、本人もやる気になっているので旦那が特にホッとしたようだった。

中等部が今年から開校されたので、旦那の会社では不登校では無いけれどそこの中学校に行きたい!と子が自ら言ってきた人がいて、行くのは構わないけど学費高くない?がやはりメインの会話となっているらしい。

うちも娘までが興味を示したのでうん!とだけまだ言っといた。

 

そこまで話が形を成してきたのはいいけれども、息子は余計に今の何もしていない、何も属して無い感がもどかしいようだった。

 

独学で勉強をやってるじゃない、家事をやってるじゃないと付け焼き刃みたいな事を言っても無駄なことは充分分かる。

そうじゃないんだよな。気持ちは分かる。

あと4ヶ月間が長いんだよな。

 

俺は今何もしていない…とポツリと目をほんの少し赤くして言った姿が目に焼き付く。

 

元気にご飯食べてるじゃない、勉強してるじゃない、家事してるじゃないなんて、今の息子にはあまりにもありきたりな軽々しい持ち上げ方だと思って言えなかった。

 

早く人から学びたいだろう、何かに自分なりに属したいのだろう、バイト代を家に入れたいのだろう、分かるよ。

私も通った思いだよ。分かるよ。胸が詰まるくらい分かる。

だけどこればっかりはな、時間が経つしかないんだよ。

今はまだ、独学や家事で耐えておくれ。

 

娘さん

娘は不登校にはならずそれはそれは楽しそうに登校する。

だけどだからと言ってなかなか安心も仕切れないところがある。今となっては、息子は勝手に羽ばたきそうだが娘は折れやすそう。と一抹の心配がある。

 

部活を辞めてしまった事がまだ引っかかっているのか、次は生徒会執行部に入った。

何かを辞めたから何かをしないとと行動しているように見えるけれど、本人が決めた事なので何も言えない。

 

ある日、地域の人の会で、地元の中学の執行部の子も集まると言うものがあった。

近くの公民館で夜の7時からだったので、娘は何をするのか分からないままながらに外出した。

 

一時間後メソメソ帰ってきた。

7時前だったのにもう会が始まっていて、知らない大人ばかりで、執行部の子はみんな用事があって参加出来なくて、怖くて一人じゃ入れなかった…と言うのだ。

だから一時間くらい暗い外でうろうろしたけど、会が終わっちゃって、私は何も出来なかった。また出来なかった。何にも出来なかった。

とわんわん泣き出した。

 

もうほんとに…なんと面倒で生きにくい感情を持ったことか…やれやれ。

 

そんなもん地元の子でもあるまいし、知り合いもいない1人ぽっちの一年生に説明も無く二年生も参加ゼロの状態で行かせる方がおかしいだろ。大体誰も参加しなかったって、その程度の会だったんだよ、かまわんかまわんと、なんとかなだめて落ち着いた。

 

その次は生徒会発表の日だったかな。

なんかの発表の時、腕章を忘れてしまいずっと腕を気にしていたそうな。

先生たちも無かったら別にいいいいと言ったのにもかかわらずソワソワチラチラ。それがピークに達したのか自分が発表する時にはすっかりグロッキーになってしまい、体育館の隅っこでうずくまっていたそうな。

発表は結局なんなく他の生徒会の子がやってくれたらしい。

生徒会の子や先生やクラスの子が『そんな事もあるよー』と慰めてくれた物の、本人は落ち込んでいた。

帰宅して私に飛び付いて来て何かあった?と聞いた時は何もないと言っていたけど、その後先生から電話があって発覚、なるほどなと思った。

その話は娘にはしてない。

 

私よりも面倒くさい性格がここにいた!びっくりだ。

 

私が今までの育児で追い詰めたかなぁ…そんなつもりなかったけど、本人はそうなっちゃったかなぁって、親なら思っちゃうよ。

 

ただただ学生生活楽しめればいいのに、難しいねぇ。

どの子も大変だね。

 

そして今はまたすっかり元気で彼氏が出来たらお母さんどう思う?などと聞いてきてますが、匂わせ女だなと思いつつ、まだ早いとも思いつつ、傷付かないように楽しく過ごしておくれと思うのでした。

 

いや、まだ早い。

なんとまぁ

久しぶりにブログを書いて、最初から読み直して、当時の私や子供達を思って泣きそうになったけれど、一番びっくりしたのが息子にちょっかいをかけた子に対しての感情だった。

 

私は器がこんなに小さいのかと思った。

まだまだやっぱり今私のこの目の前に母親共々連れてきて欲しい。

逢いたい。

そしたらあぁ、この子がうちの息子を傷つけて不登校にさせた問題児か。やりそうな顔してらぁと、虫けらを値踏みするような目で見ながら言ってやりたい。

そう思った。

 

誰とも話さず本を読んでいただけの息子がなぜ絡まれなければならなかったのか。

悔しい。

友達のいない1人ぽっちの寂しいクラスで、時間を潰すために本を読んでいただけの息子に、なぜいちいち絡んだのか。

 

分かってるよ。その子のせいだけじゃないのは。

でも悔しい。平手打ちでもしてやりたい。

悔しくてたまらない。

逢いたくてたまらない。

 

私が不登校になった時はごく自然に日に日にだったから、息子はどれほどエネルギーをその子に削られていたのだろうと思うと悔しい。

 

今でもリアルに思う。

その子が不幸になればいいのに。

 

人を呪わば穴二つ。構わないから呪いたい。

 

早く忘れてしまえばいいのにね。

向こうはすっかり忘れて今もあの中学に通っているんだろう。

あぁ、だから尚のこと悔しい。

 

私はとても器が小さい上に粘着質なのだな。

 

そもそも、それすら気が付かなかったその時の私が悔しい。

 

早く忘れような。

 

どうでも良くなる日が早くきますように。

始まった

パートが始まって約1ヶ月。

楽しくてしょうがない状態。

週3日で5時間程度が希望だったけど、なんだかんだで週4日の7時間前後になった。

その日のシフトにもよるので5時間の時もあるけど…ほぼ無いかな。

やはり希望の日数や時間は、子供の小さい主婦も希望していたので、うちはまぁいいですよと。

 

思ったより長く働いてもそうしんどく無いことがわかったしね。

家にいる時はしんどいだろうなぁ、今でもしんどいのに、体力も落ちてるだろうからなぁともやもやとしたままだったけど、いざ外に出ると元々体は丈夫なのでなんて事はなかった。

疲れはあるけど嫌気はないと言うか。

むしろもう少しシフト増やしてくれてもいいな…。

 

さて不登校中の息子は。

 

相変わらず変わってはいない。

あ、でも朝はちゃんと起きて夜寝てるかな。

昼夜逆転でも高校やバイト始めたら治るんじゃ無い?と私は今までヤキモキしていたものから一転、パートをし出して私自身の気分が開き直っていたのだけど、息子本人が治したかったらしい。

ゲームをするにも何をするにも、起きたら午後3時だなんて、何もせずに1日が終わった感が嫌だったらしい。

 

ふむー、さて困ったねぇ。どうしよっか。

睡眠導入剤も結局は早く寝るだけで早く起きられるわけでは無いからなぁ。

と思ったら夜のゲームをやめたらあっさり治ってしまった。

まぁ本人の気の持ちようの部分もあるだろうから、それだけとは言えないだろうけど。

 

しかしだからと言って学校に行く訳でもない。

本当にそこら辺は親の我々も諦めてしまった。

もういいかな…高校も通信制を選んだし、内申とか全く関係なくなったし。

やりたい事が見えているなら根拠のない安心が生まれるよね。

あいつは割と飄々と生きていく力があるだろうなーって思ってる。

ロードバイクにはもうちょっと乗って欲しいのだが…。

でも夕方、ご飯の仕掛けと味噌汁を作って、風呂を沸かして洗濯物を取り込んで犬の散歩に行ってくれるのは非常に助かります。

私は主婦の何をしているのでしょう…。

 

この間、旦那を駅まで送って行った帰りに登校中の中学生集団とすれ違った。楽しそうにはしゃぎながら登校していた。

と、その後にコンビニに行く息子を見た。

これは親の贔屓目だろうか、そうだろうなと思いながらも、我が子ながら落ち着きがあった。

あーだろうなー、あのはしゃぐグループにいるのは想像つかないなぁ…と何故か納得した。

 

しみじみ思ったのが、パートで学生と仕事する時だった。

学生と言えど、20歳前後ばかりの女の子。派手な子はいないけれど、息子より遥かに年上だけど、本当に子供だな…と感じた。

これくらいの時に私は息子を産んだのか…親はさぞ心配したのでは…。

子供の一年の成長は目まぐるしいものだと分かりながら、その年の女の子と、15歳の息子とあんまり変わらないなぁと思った。

むしろなかなか気が付かない事が多いのね君たち…整理整頓は必須だしもうちょっと周りも見て動いてくれると嬉しいなぁ…仕事はレジに立つ事だけじゃないからねぇ…ちょっとしたことなんだけど…いや…まだ20歳だしなぁ…。お喋りはお客様の前ではもう少し控えようかぁ…あと同時に手も動かしたほうがいいかなぁ…なんて、むしろ息子の方が落ち着きがあって気が利くかもしれない…。

でも他人から見たらあいつも子供だからな、色々お世話をかけるだろうから他所の学生さんに優しくしておこう。

と、話がそれる。

 

そりゃああの中学生の集団には馴染めないよな…。

 

だから中学生集団を見て、息子を見たとき、羨ましいともなんとも思わなかった。

違いすぎてて。

あの集団に入れは無理だろうなと。

あたふたとでもバイトする姿の方が容易に想像できた。

 

だからこそ私が働き出してむちゃくちゃ自由を感じて楽しかった経験を、早くあんたにもさせてあげたいな。

私は学ぶ事を放棄したからそれまでの仕事しか出来なくて、経験だけを糧に仕事をしているけれど、あんたはそれとともに学びも並行したいと言うんだからさ、きっときっとより広がった楽しい時間になるよ。絶対だよ。

是非早くそうして見ておくれよ。

 

まだまだ

体調は良くなりパートも見つけた。

全くの希望通りではないだろうが10月オープンの近所のパン屋さん。

パン屋兼ケーキ屋で働いていたけれどそれももう20年も前の話だから、少々の不安はあったけれど、オーナーの話を聞いて不安よりも楽しみになってきた。

 

他の店舗で作ったものが配送され、その店で売る。

売り子の仕事は大体パン屋ならどこも同じだろうけど、私にとったらちょろいのである。

 

マニュアルの無い地元のパン屋にしたいと言うオーナーの言い分を聞いていて、ますます得意分野だと楽しみになった。

昔働いていた所はパン屋とケーキ屋が一緒になっていたので、用事は多かった。

焼き菓子もあったから進物用にのし掛けや包装ももちろん、ケーキの説明や予約や箱詰め、パンの販売と焼き菓子の個包装手伝い、もちろん店内の掃除、レジの集計、それがパン屋のバイトは当たり前だと思っていたから、パンだけってのは私にとって簡単なのである。

 

さて、パートも決まってあとは日を待つだけ。体調も悪く無いし、元々丈夫な方だと思うから、働き出したらだるさも全くなくなるだろうね。

 

やっぱり専業主婦は向いてなかったな…。いや、お金があれば楽しいかもしれないけど。

貯金も全く無い状態で専業主婦しちゃったからな。

少しでも稼いで子供達の学費にしたいのはもちろんのこと、自分も楽しみたいしな。

もう大阪に来て半年経つのに、殆ど家でしか過ごしてないな。

 

息子は相変わらずで昼過ぎに起きる。一発ここはキツく言ったほうがいいのだろうかと悩む。

以前なら頭より口が動いて言っていたけど、不登校児は休ませるべきだと言われ続け、いつまで休ませればいいのだろうとこっちがまいる。

傷付いたのもしんどいのも知っているけれど、口だけで勉強しなきゃ、進学したいと言われるとこちらもそれはそれはため息しか出ない。

その間同じように進学を目指している子は力をつけて行っているというのに。

 

昼間に起きるということで、起きて少し経ってご飯を食べるのだけど、2時や3時に軽くあるものを食べて、時にはそのまま食べずに夕飯。

そんな毎日で体が重いと言われたら、その口縫い付けたくなるよ。

 

自分で何の意識もしてないくせに言うこと言われてもな…。

時々、やっぱり考えが甘いんじゃ無いだろうか、この甘さは不登校中に培われたのでは無いだろうかと思う。

ニュースやなんかを観て何か一つ意見を言う度に、お前はもっと何にもしてないだろうなんて思う。

 

時間が過ぎたら確かに今の環境から抜け出せるし大人になったら過去のこと。私がそうだった。

でもお前は進学したいのだろう?なら時間が過ぎるのを待つだけでは、本当に文字通り過ぎるだけだぞ。