日記

なんとなく

息子のことは2

塾の先生にも受験は全然大丈夫!!と言われて、実際大丈夫だった。

受験番号があるのを見て旦那と息子と泣いたし、心配してくれていた人に電話もしまくった。

その日は焼肉食べに行った。

制服を作る時も誇らしかった。

部活も息子の好きな科学部。同じような子達とロボットを作ってプログラムを組んで楽しそうにしていた。

学力が全国的と比べてそこまで大きい所ではないことは分かっているけど、それまでの努力がそこに表れたんだとみんな満足していた。

 

新しいダボダボの学ランを着て、写真も撮った。

私もテンションが上がっていたのだろうな。意味もわからず周りの人の『中学校は内申点が大事。忘れ物一つ書かれるよ。高校受験にひびくからね』

中学校生活と無縁だった私はその言葉が全てのように感じて、やはり、私にはなかった道を進ませたかった。

6月くらいから様子が変わっていった。

普段なかなか泣かない息子が課題をしながら進まないと泣き出した。

普段と違う事に違和感を感じたはずなのに私は課題の提出の遅れの方に重きを置いてしまいきつい事を言ってしまった。

クラスの一部のテンション高い子が苦手と悩みを言われた時、最初はそんなもんだとくだらない事を言ってしまった。

と、まさかこいつまで不登校になるのではとその時から一抹の不安は感じた。

感じたから分かってあげられるんじゃなかった。感じたから同じになるのではと焦った。

 

朝になるとテンションの高い同級生に絡まれるのが嫌だと度々言っていた。まだ友達の居なかった息子は小説を休み時間に読む事しかなくて、小説のことで絡んで来たり、本を取り上げられたり。休み時間毎にされたらそりゃしんどいだろうな。大人がよく言う言葉しか私もかけなかった。

もっと学校にうるさい親になってやればよかった。

日に日にその子に絡まれることの苦痛を訴えていたのに、体格の大きい息子はイジメには合わないだろうとタカをくくっていた。実際イジメほどでも無いのだろうけど、度合いじゃないんだよね、体格じゃないんだよね。本人が傷付いているんだから、ちゃんと言うべきだったな。

 

あれこれ励みの言葉もご褒美も必死でやったつもりだったけど、今思えばどれだけその時息子は孤独を感じたのだろうと思うと、涙がでてくる。

そうこうしているうちに夏休み。夏休みは毎日部活があって、なんとかそれは休まず行っていた。

絡んでくる子が居ないから。

息子と同じ様なタイプの子ばかりだから。

そしてそれすら毎日行く事が当たり前だと親子で思っていたが、あとから先生や生徒から皆勤賞ですごすぎると聞いて、そこまでまじめにならなくても良かったのかと思う。 

 

少しくらい休んでも大丈夫。部活は学校生活を楽しくするための延長。課題は忘れたら怒られて、次に気を付けたらいい。

あまりにも簡単な息の抜き方を、なぜ私が、不登校で追い詰められていたはずの私が、なぜ分かってやれなかったのだろうと。なぜ。

夏休みが終わった瞬間ぷっつりと息子は無気力になり動かなくなった。

朝は起きない、起きられない。泣きながら布団にくるまっている。

 

やっと、私は自分の不登校体験を生々しく思い出し、力が抜けた。