日記

なんとなく

息子のことは3

初めは別室登校もしてみた。だけど仕事中に先生から電話がかかってきて、まだきてないし携帯も繋がらないと連絡があった。

何度もかけてやっと繋がった時は私は泣きながら怒鳴り付けてしまった。

先生へ迷惑をかけた事への気持ちが大きくて、息子のことなどその時は全く考えてない。

それが2回ほどあったので次から送って行った。

私はそのまま仕事に行くからと学校の近くへ降ろして。数回はなんとか行っていたけど日に日に車から降りるまでの時間が長くなった。

降りた後しばらく仕事に行くふりしてこっそり息子を見ていた。

そのうち校門に入れなくなった。校門前でUターンしてトボトボ汽車の駅に向かう息子の姿はなんとも言えなかった。

仕事から帰ると元気に喋ってゲームしている息子を見ると情けなくなって、腹が立って一緒に死んでやろうかと思う日もあった。

不登校児だったくせに我が子がなるのは違うみたい。

と、言うよりも一言で言えば世間体かもしれない。

近所の人に見られて聞かれるのも嫌だったし、不登校していた私に似たからとも言われたくなかった。

その頃に塾もやめてしまったな。

あれだけ楽しそうに行っていた塾も、同じクラスの女の子がいるらしく、気にして行けなくなったから。

学校に行けなくなって少ししてからかな。

塾の教室に入りにくいな…とポツリと漏らした日、妙な違和感があって早めに迎えに行ったら案の定、ずっと暗い外で一人座っていた。

三時間も暗い中、何を思っていたんだろうね。

 

口では理解のあるように言っていたとは思うけど、なんとか引きこもりにはならせたくなくて、勉強が遅れて欲しくなくて、色々チャレンジだと言いながらやらせていたかもしれない。

息子は黙ってそれに応えようとしてくれていたと思う。頑張ったんだと思う。

でも私が先にダメだった。もういやだ。こっちがどんなにあいつを思って動いてもひびかない。失敗作産んだ。一緒に死にたい。

出張や単身赴任で殆ど家にいない旦那に泣きながらそうもらしたら、旦那は何も言わず泣き出してしまった。

 

ひどいね。

私は妻としても母親としてもひどいね。