日記

なんとなく

死にたいと思うこと

私は中学生の時、学校に行けないだけで私の両親が不憫でならなくて、私がいなければもっと幸せな家庭だったろうにと言う思いから死にたかった。

自分が情けなくてたまらなかった。

でも死ぬのはやっぱり怖くて、リストカットするのが精一杯。

それに親の愛情は充分わかっていたから、私が死んだ後の悲しむ顔を容易に想像出来て余計に辛かった。

臭い言い方をすると、愛で命が繋ぎとめられていたんだね。

 

当時は本気で、次は私のいない家族で幸せになってほしいと願ったな。

それから問題なく大人になったようだけど、当時の気持ちに囚われたままだったなと思う節はある。

同級生はみんな小学校のままで止まってる。

Facebookで見かけてもあの時のままの感覚。

向こうは向こうの成長がある事も理解はしているけど、それが少し切なかった。

私が知っている同級生はおそらく私を忘れて、知らないだろう。

私の知らない中学生生活を過ごし、高校で新たな人と出会って、県外で出会ったり大学で出会ったり、社会でであったり。

私ももちろん色々な出会いを経験しながら育ったのだろうけど、囚われた感覚は拭えなかった。

 

それが綺麗さっぱり無くなったのは、皮肉にも息子の不登校が始まってからだった。

2年前娘の運動会のためみんなで見に行った時、小学生の時の近所の友達も沢山いたから息子は楽しそうにつるんでた。

そして去年も同じように行ったけど、誰もいなかった。

みんな部活や塾で忙しいんだよ。

私の隣でおとなしく座って妹を見ている息子は、本人はどう思っていたのかは知らないけれど、ひどく私は辛かった。可哀想でたまらなかった。

たまにちらちらと周りを見回す姿は、友達を探していたんじゃないかな。そう思うとまともに見られなかった。

と同時に、お前が成長していると共に、他の子も成長しているんだよ。それに囚われないで。と息子に言いたかった言葉が、私に刺さる言葉だったと思い知った。

 

私は寂しかったんだ。

普通の学生生活を送ることが出来なかった事が、周りの常識に置いていかれたような気がして。

 

 

でもお昼を過ぎた辺りに、部活を終えた息子の同級生がわーっと息子に集まりあっという間に息子共々男衆は居なくなった。

 

私じゃなかった。よかった。

 

息子の同級生も、息子も、私も、私の同級生も、それぞれが違う成長をしていたんだなぁと、その頃から私の時間も動き出したかのように、思い出にある同級生が成長した。

 

 

話は戻って、今思えばよく死ななかったよって褒めたいけど、命を軽く見過ぎだったなってのがある。

 

だから息子が不登校になって自室にこもるとき、すぐにそれが思い出されて怖かった。

 

不登校=自殺にすぐ結び付けた事は、さっぱりその感覚が分からなかった旦那に感心されたから、無駄ではなかったんだよと言われたから、当時の私が今、救われた。

 

旦那は人の良い両親に育てられた三人兄弟の真ん中で、3人ともがスレてない優しい兄弟なの。

当たり前のように学校に行って、野球して、何も考えなかった。

だから息子の事を分かってあげられないと呟いていたけど、全く分からない事を理解しようと歩み寄るその優しさは天性のものだと思うよ。

あなたは後悔しないで。

あなたが後悔する事は一つもない。