日記

なんとなく

丸2年

昨日は息子の通う(?)中学校の合格発表だった。

あれから丸2年か。

もっと数年経ったような気もするし、早2年経ったような気もするなぁ。

 

昨日は泣いたり笑ったりと盛り上がったんだろうな。懐かしい。

 

その中で、これから息子みたいに色んなことがきっかけで学校に行かれなくなる子はどれくらいいるのだろうと思ってしまう。

親はこれから辛いだろうな。

子はこれから悩むんだろうな。

もしかしたらその年は一人もいないかも?

なんて。

 

どうか自分から死にに行くような事はしないで。

 

たまに息子がしょっちゅうちょっかいかけてきた子の事を最近言うような時がある。

 

入学初日から偉そうに声をかけられ、本を取られる、その本を侮辱される、本を投げられる、後ろから叩かれる、耳元で大声でわぁわぁ言ってくる、トイレまで付いてきて話しかけてくる。休み時間毎、昼食中だから鬱陶しくてたまらなかった。と。

息子にとって小説は、友達が一人もいない中学校での休み時間を潰す唯一のものだった。

 

それをされる子が身長小さい子なら安易に想像出来るけど、うちは逆。

息子はすでに170を超えて痩せ型でも無い標準体型。今は少し太ったけど。

相手の子は150位の細い子だった。

だからこそあまりにもしつこくて、言っても無駄だと思った息子はその子を押さえつけてやめろと言ったそうだけど、その行動すらその子にとっては後にちょっかいをかける良いネタになる。

だからこそ親の私でさえも、殴れば良いのに、相手にしなければ良いのに、脅してやれば良いのに。

何度私の言葉で息子の『だってだって』を潰しただろう。

同じ土俵に立たせようとするその言葉は最低だった。

ガタイがいいから、頭の回転速いから、やられた以上の事、やり返せるだろ?その程度に考えていた。

 

周りの子は『小学生の時からあんな感じだった』と口を揃えて言っていたし、先生も実はかなり苦労していた子だったらしい。受験組では無く小学生からの持ち上がりの子。

 

あぁ、ここまで書いておいて私はまだそれを『いじめ』ではなく『ちょっかい』にしてしまっているから、その子が今目の前にいたら殴ってやりたいけれど、一番殴りたいのは私自身だ。

もっと深く捉えてやればよかったと。

 

キツイことをされたら私は倍にやり返していた子供だったけれど、息子は相手と同じ土俵にそもそも立たなかったんだ。そしてそれ以上逃げる術を知らない12歳の子供なら、さぞ心が重かったろうに。

小学生と変わらない子供だ。可哀想でたまらない。

 

後になって聞いた話、息子は受験組で外から来た人間。クラスの三分の一の中の一人で、背も高く、落ち着きがあったから逆に目立っていたそうな。

割とイケメンだしな(それは聞いてない)

 

もちろん彼の行動だけで息子が不登校になったとは言い切らない。色々な要素がある。それは分かる。

クラスを2年生から離してくれたのに、今もいけないからだ。

息子は優しさ以外私によく似ているから、私が学校に行けなかったように、神経質なところがあるなとは思う。

ただ要因の割合としては大きかった。

 

何故子供が潰れてから親は動くのか。

だって、余程目に見えるものじゃなければ、学校になかなかいい上げれないよ。

分かってるよ。親が一番、守れなかった悔しさを持ってるよ。

 

ごめんよ。

結局、私のせいで不登校になったんだと思わずにはいられない事もあるよ。

ごめんよ。