日記

なんとなく

息子の中学

今朝は息子と旦那と三人で、息子の在学する中学に転校手続きをしに行った。

雨の中他の生徒が野球をしていた。

 

なんだかんだと、ここも数回しか来てないなぁ。

入学した時は、これからここに役員や行事の度に来るのか、慣れた場所になるのかと思ったものだけれど、そうはならなかったな。

 

そう思うと、好きとも嫌いとも湧かない感情しか持ち合わせなかったくせに、妙に涙が出そうだった。

 

旦那は、この学校は色々やってくれた、いつでも対応してくれて優しかったと言っていた。

私も、そう思う。

けれど旦那程ではなかった。

他の教師とは本当に面識もなかったからかな。

 

いや、すごく理解のある教師ばかりだったか。

応援ばかりする教師で、決して無理強いはしなかったので、とてもいい学校だと思う。

 

ただ、息子が一番沈んでいる時、私も沈んでいて、どんな励ましの言葉も痛かった時、全て学校関連の電話は旦那に回してもらうようにしたから、私は殆ど電話で話していないのだ。

担任も気を使ってくれてたのだろうと思う。

 

もっと担任とお話ししてみたかったな。

担任は私よりも若い女性教師。

子供はまだ小学低学年だと言う。

 

息子が別室登校している時に『自分の為だけに別室を開けてもらうのが申し訳ない』と言っただけで『そんなことっ…』と言葉を詰まらせて泣き出した。

保健医から別室登校していた時の話を事細かく聞いていたら私は息子の一挙一動を思い出して泣きながら話を聞いていただけで、同じ様に泣き出した。

 

その後2年の中頃、クラスが荒れてしまい、担任は体と心が疲れてしまって、3ヶ月ほど休んでいた。

ドライな言い方をすると、思春期の子を相手にするには頼りないが、すぐに相手に感情移入して寄り添える先生だと思う。

 

教師と父兄と言うよりは、お母さん同士としてお話ししてみたかったな。

 

私は、やっぱり学校の先生にはいい思い出が無かったから、どの言葉も上っ面だと決めつけて付き合ってきたから、そこが私の悪いところだと思う。

 

もっと頼ればよかった。

もっとお話しすればよかった。

立場の違いでの会話は、とてもさじ加減が難しい。

でもあの先生なら、もっと楽しく子供や旦那の愚痴を混ぜながら話が出来たろうな。

 

そんな思いと共に、本当に最後の校舎を後にした。

一年の時に息子が書いた美術の絵も貰った。

懐かしい。私も手伝ったやつだ。

泣きそうだった。

我慢した。

 

使わなかった先払いの道具の料金も返ってきた。

ラッキーと思いながらも、その封筒が切ない。

 

たかだか中学校なんだよ。

たかだか中学校にこんな気持ちにさせられるんだよ。

 

たかだかじゃないんだよな。