歌の印象
米津玄師が好きなのだけど、たまたまテレビで米津玄師のLOSERが流れていた。
私は能天気に『米津玄師だー!』と言うだけだったがふと、娘に言われた。
『この歌を聴くとねぇ、高知から、高速乗って、大阪に向かってる車の中を思い出す。
なんだか少し寂しいと言うか、悲しい感じなんだ。
なんでだろうねぇ。後はあんま覚えてないくせに』
旦那に『お母さんが車中でかけまくってただけだろ』と言われて話は終わったけど、ぼやっと今日その会話を思い出しながら仕事帰り歩いていたんだけど、車でエンドレスでいろんな音楽をかけていたのになぜそれがピンポイントで娘は思い出すんだろう…?
聴き慣れた邦楽も洋楽も、4時間半の車中でごちゃ混ぜにかかっていたのに。
あぁ、そうか、多分あれだ。
今まで私の背中を後押しして、私の心配ばかりして、大阪行っちゃえ行っちゃえとしか言わなかった母が、打った事ないLINEで
『さみしい』と一言言ってきて、思いも寄らなかったからボロボロ私が車で泣いてしまった時かも知れない。
子育てをするにあたって、色々な場面で嬉しい事も悲しいことも散々泣いたけど、実際娘や息子の前でさめざめと泣いたことなど思い出せるくらいしかなかったから、娘にはなんとなく悲しい印象を与えてしまったのかもしれない。
君の前では2回目だったかな。
1回目はお兄ちゃんは学校行かないでいいのずるいなと言った言葉に、いっぱいいっぱいだった私がキレて泣きながら君を責めた時。
責められる事など微塵もないのに、私は深く傷付けてしまったな。
あれはダメだ。あれは後悔でしかない。可哀想に。本当に可哀想に。
素直な娘は私を傷付けたと、もっと深く傷付いた。
その傷は私のせいだ。君は何一つ悪くない。
私は死ぬまで後悔するだろうし、しなければならない。
そしてそれからの車での号泣。
娘には2度目の母親の涙にきっとびっくりしただろう。
でもあれは大丈夫。
傷ついて泣いた訳じゃないよ。
私が、お兄ちゃんの会社の事、両親の店の事、お祖母ちゃんの介護の事色々に後ろ髪引かれていた事を知っていたはずの母から、あっさり大阪に行く方がいい、家族は一緒にいた方がいいと言われ、肩がストンとなったのに、最後の最後タイミングよく本音を言われちゃったからね。
くるよね。
大人になったらお前も分かってくれる涙だろうよ。
子供の思い出や印象はこうやって作られていくんだね。
今は、自分でもびっくりなんだけれど、笑い過ぎて泣く事が増えてしまった。
腹を抱えて笑い過ぎて、涙がポロポロ出て、ツボることが増えた。
おそらく、父や母は大好きだったけど、やはり人の目として気にして発言したりしてたから、気は張っていたんだろうと思う。
四人の生活になって、もちろん子育てに余裕が出来たと言うのも大いにあるだろうけど、気を張る相手、気を使いすぎる相手がいなくて、自由な感じが楽しいのかもしれない。
子供や旦那の前では言えるけど、パート先のお兄さんにほのかな恋をしているなんて、親の前では言えないしなぁ。
旦那はそれを聞いて少しプンスコしながらも
『まぁでもよかったよ。楽しそうで。よかった』と言ってくれる。
そんな夫婦で完結出来る会話も、両親がいたらあらぬ方向に行きそうだしね。
寂しさは充分あるけれど、開放感の方がより大きくて、家族やパート先の人との会話が楽しいのかもしれないな。
以前のパートも楽しかったけれど、身内の会社だから、そこは心のどこかで一線を引いていたね。
少しそれはしんどかったな。
しんどいことばかりじゃなかったけど、そこはしんどかったな。
だから家でゲラゲラ笑い過ぎて、笑いジワが最近気になるわ。
加齢のせいかしら、笑いのせいかしら。
今はまだ、大阪に来て、布団で声を殺して悲しみで泣く事はない。
よかったよ。