日記

なんとなく

脳の使い方

言葉の捉え方は人それぞれなのだけど、そんな話になった時旦那がふと、言い出した。

 

言葉を言葉としか捉えられない。

 

そのままの事なのだけどとてもよく分かる。

 

漫画や映画で決め台詞を聞いて感動することはあってもただそれだけで、それ以上でもそれ以下でも考えたことがない。

 

ことの発端はニュースを見ていて海外のことわざを聞いた時だった。

私が

『どんなに文明に差があっても、肌の色が違っても、人間てみんな同じような知能しか持てないのかな。

どんぐりの背比べみたいだね。

地球の遥か北で「これはいい例えだ!ことわざと名付けよう!」と盛り上がっていたら、遥か南の方でも同じような現象が起こってるんだ。

結局は人間は人間である以上人間の考えしか持てなくて、それ以上でもそれ以下でもないんだねぇ。

そりゃそうか、人語以外の言葉なんて生まれないもんな。』

と言った時だった。

 

『俺は、俺はその感覚すら分からない。ごめん。俺はいつも思うけど、そこまで流れてきた一言で世界を広げたことがない。言葉を言葉としか認識してないから、俺の頭の中でそこまで考えた事がない。

お前が教えてくれる詞や文字にも、そこまで考えた事がない。

だから羨ましい。そして少し寂しい。

俺には分からない世界を持ってる。』

 

と言われた。

 

寂しいのか。そうなのか。

 

私は、算数と英語がとても苦手で、数学は全く分からない。

英語は英語どころかアルファベットを書くのも苦手。

携帯の登録にアドレスを記入する際も、息子や旦那が隣にいて、一文字ずつ確認してもらわないと自信がない。

店の人間はきっとそんな私を、頭の弱い女だと思うだろう。

そう考えると隣の息子や旦那に申し訳なくて恥ずかしくて、尚のこと書けなくなる。

 

子供達と旦那が勉強で盛り上がっている時も、私は1人だけ入れない。

少しでも理解しようとしたけれど、元々興味もないので何度勉強しても覚えられない。

その内に子供達の勉強は難しくなって、私は置いてけぼりを食らう。

頭の悪い母だ。

 

旦那の言う寂しいは、その時の寂しさと似た事だろうか。

 

その時、ふと思ったのは、脳の使い方が違うだけなんだろうなぁと思った。

 

作文や、言葉の意味を書く勉強はよく出来た私とは反対に、旦那は黙々と解いていく勉強がよく出来た。

 

『でもお母さん、英単語も、これどんな単語だっけ?ですぐ答えたりするじゃん。あれなんで?』

と子供に聞かれたけど、それは映画で俳優が言ってる言葉と字幕をすり合わせているからだよ。

あ、こないだもこの発音の時この和訳が出た!って勝手に覚えていっただけ。

だから書けない。スペルなんてとんでもない。

最近になってやっとYESの3文字覚えたのに。

 

反対に旦那はすぐすらすらと書けるけど、そんな言葉、あの映画で出たっけ?と言う感じだった。

 

何が言いたいかと言うと、少し笑えた。

 

私の頭が弱いのは学校に行ってなかったから、学校で勉強しないだけでこんなに頭が弱くなるのかとずっと心のどこかでコンプレックスがあったから。

 

不登校などしなければ、もしかしたらそこそこの高校に行けてたかもしれないと思いたかったから。

思っても仕方のない事だけど、一般的な道を歩む人と少しでも肩を並べたかったから。

 

でも多分そうじゃない。

 

多分私は学校に真面目に行ってても勉強は出来なかったよ。

全くダメだったと思う。

小学生までは成績良くても、数学や英語が入って、私ももれなく成績はガタ落ちして、諦めて遊び呆けてたんじゃないかな。

 

でもそれでいいし、私はその道を行かなかったのだからどっちでもいい。

 

使う脳が違うだけでこれこそが人間の得手不得手だと思った。

 

子供達も達者なもんで、勉強は旦那に教えてもらいたいのよ。

私には道徳を聞きにくるのよ。

 

お互いさぁ、寂しいと思う前にさ、子供に置いてかれないように常に学ばないとねぇ。

 

それぞれの分かるところを。