日記

なんとなく

親になると分かる

昨日ツイッターで呟いて、ますますハッとさせられたけど、そうね、もうすぐ卒業式ね。

うちも娘が卒業式だけど、娘は不登校でもないし、ただひたすら茶話会に出すお菓子作りを担っている事だけにウキってたし、息子はまだ中2だし。

 

卒業式は出るのか出ないのかと吐き捨てるように呟くお母さんたちの言葉は、なるほどな…と思った。

息子も卒業式どうすんのかなーアルバムどうすんのかなーとは思ったけれど、私自身が中学の卒業式も行かなかったしアルバムも持ってない。

セーラー服姿のお嬢さんな写真もなく、見返す事もないから息子も本人がその時いいと言うならそれでいいや程度だった。

 

気が付いたら卒業式は終わっていて、その日はいつもと変わらず家でテレビ見ていたな。

祖父母の営む卸屋が隣にあって、昼の休憩に帰ってきた母とご飯を食べてまったりしていた時だった。

小学生から付き合いのある同級生が証書と花束を持って来てくれて気が付いた程度だった。

私はね。

 

でも母の立場ではどう思ったのだろうと。

 

娘は顔も洗わずボーッとして腕は傷だらけ。パジャマなのか部屋着なのか分からない格好でもそもそご飯を食べる。

そんな娘とは正反対の存在だったろう。

娘の同級生はセーラー服に身を包み、卒業生のリボンを胸に付け、証書と花束を抱えて笑顔で母に挨拶するんだ。

 

羨ましかったろう。キラキラ見えていたろう。

切なかったろうし心が重かったろう。

 

当時の私はそんなことつゆほど思わず、あー、今日卒業式だったんだねーと呑気に友達とくっちゃべっていたな。

 

記憶はそこしかないけれど、きっと母の心は穏やかではなかったはずだった。

 

それでも態度に出さなかったし私を責めなかったな。

今程の情報量もない当時、気が狂うような思いをしたのだろうな。肩身も狭かっただろう。精神病扱いに近かったからね。

 

可哀想なことをしたなぁと言うのが一番素直な気持ち。

三兄弟で一人だけの娘の華やかな姿を見せていないなぁと。

 

過干渉やシングル、放置や夫婦仲が悪いなど、いろんな環境があっても不登校児は出てくるから、どの家庭環境だから不登校になるとは言えない事は充分わかってはいるけれど、私は親にあんな思いをさせたのだから、私もあんな思いをするのは仕方ないんだろうなと責める事もある。

 

それでも救われる所は、いい旦那を手に入れて幸せな家庭を誰よりも早く手に入れた事だろうか。

その時来てくれた同級生は二回離婚をしており子供も手放していて、今は独身でパートで生計を立てている。

たまにLINEで話す。

 

勿論結婚をして家庭を築く事だけが幸せだとは思わないけど、仕事をして、彼氏を作って結婚して、娘をそれはそれは大切にしてくれるサラリーマンの旦那がいて、子供に恵まれて、実家で同居して、両親や兄弟の商売の手伝いをして、絵に描いたような生活を手に入れた事は、今の私からの母への恩返しだとも思いながら生きる。

 

母によく言われる。

あんたは本当に幸せな人間に恵まれたね。それで私も幸せだ。

 

深く考えれば考えるほど、深みのある切ない言葉だ。

 

母の安心のために今の道を生きてきた訳では無く、結果そうなったから、それがまた私は私を誇らしい。

まぁー自分が嫌になる時もそれはそれなりにあるけど。

 

だから引っ越す時一番心配しているのは母かなぁ。商売しながらおばあちゃんの面倒も見るようになるからな。

後ろ髪を引かれながら決めた時、真っ先に応援してくれたのも母。

ごめんね。

 

うちは息子どうなるかな。

卒業式は出るのかな。

私が私だったから、他のお母さん程は思わないけど、悩む気持ちは分かるよ。

分かるしもうなんかいっそのこと不登校児代表して全国の悩めるお母さんすまねぇって思っちゃう。

 

実は本人は親ほどそう考えてない事が多いからなぁ。

親の心子知らずってね。

 

親にならないとわからない事って沢山あるねぇ。