繰り返し
何だかんだと、公立高校はもう無理なら好きなようにすればいっかーと思いながら、息子が朝起きないことがひどくなるとやっぱり腹立つな。
いやいや、適応指導教室に行って出席取る意味も分からないし、雨も続いてたしね。
とか思いつつ、起きろよ。
不登校の中には起立性調律障害で、朝起きられなくてなる子も多いと聞くし、言っている意味も分かるのだけれど、例え頭では理解していても、せめて朝は起きてこいよという想いから起こすのだけど、起こす方の気力は相当いる。
私はどうだっただろう。
不登校だった時、親から色々言われなくなった時は、朝すでに起こされなかったから、今思うと起立性の物なのかただ起きなかったのかよくわからない。
病院も、今程行けるようなものでは無かったから、診断も受けてない。むしろ当時の環境で病院となったら、本人が傷付くかもしれない空気もあったかな。
私は病気なのか。学校に行かれないのは精神病なのか。と。
親から色々言われなくなったと言っても、諦められたとか、ネガティブな意味では無い。
それまで迷って悩んでいたんだろうなぁ。
中学の担任は全く理解してくれない教師だったし、書籍も読み漁ったらしい。
担任から手に負えないから精神科か適応指導教室に行った方がいいと吐き捨てられた言葉から、皮肉にも相談出来る相手である適応指導教室の先生に出会ったと言っていた。
適応指導教室の先生に、否定されず、相談の相手をしてもらい、やっと少しホッとしたと言っていた。
初めはもちろんのこと引き摺られた事もあった。怒られもした。母も私も泣きながら格闘もした。
当時の母は、今の私が息子に思ったと同じように、学力がある程度高かった私に、進学を期待していたらしい。
その時の子供の心情としては、私の事を分かってくれない!と母を嫌ったかもしれないが、それは突発的な感情で、落ち着くとそんな感情はとんと無くなる。
実はそこまで考えない。子供の立場は親ほど1秒1秒頭からその悩みが離れ無いわけでは無い。
むしろ、そこまで面倒をかける自分が嫌で嫌でたまらなくなる。
そこまで思うなら学校行けばいいのにね?
朝起きて、学校行って、帰ってくればいいのにね。
何故そこまで拒否していたかは今でもさっぱり分からない。
勉強は嫌とも好きとも思うほど何の感情も湧かなかった。小学生の頃から学問の成績だけは苦労なく良かった。公立の中学だからほぼ小学校からの持ち上がりで友達はいた。性格は明るい方だった。クラスの目立つ女子グループに属していた。ピアスを開けて呼び出しくらった。学年一のモテ男から告白されて二年生にトイレに呼び出しされた。笑いながら逃げて帰ったけど。
何が嫌だったのかなぁ。
今思えば楽しそうな青春してんじゃん。
元々小学生のうちから行きしぶりや休む事が始まったけど、中学2ヶ月目でパタリと行かなくなった。
何だったのかほんとさっぱりだ。
朝は起きられたから、起立性のものでは無かったと思う。
惨めで情けなくてどんどん死にたくなる自分がいるのは分かった。
親に怒られた瞬間は、もう!ムカつく!だったけれど、すぐその後、なんて私は駄目な子なんだろうと自分を責めた。それは1秒1秒頭から離れなかった。
自分を褒めるわけではなく、恐らく単純に子供は優しいのだろうね。だからそう行った場合、親より自分を否定する事に走る。
息子もどれ程自分を責めたのだろう。痛いくらいに分かるだけに辛さが増す。
一度友人に『雨の中、学校からの手紙を渡しに持って行く時、隣の建物で働いていたおばちゃん(母)に呼び止められて『ごめんね。ありがとうね。友達でいてくれて』って泣きながら言われたよ。お母さん、心配してるよ。学校来なよ』と言われた事があった。
一筋の冷水が背中を通ったような感覚を覚えている。
お母さんなんて余計な事を。友人もそれ言わなくてもいいじゃん。
真っ先にその感情が湧いたのと同時に辛かった。
しかし今となっては母の絞るようなそのセリフはどれほどの物だったのか重さを知る。
今の私が過去に行けるなら、若かった頃の母に会いたい。身分を隠して相談相手になってあげたい。そして謝りたい。
でも未来の息子が今私の元に来て謝ってくれても、何故お前が謝るんだ?という気になるだろうから、そうじゃ無いんだろうな。
さて、結局の所朝はそんなこんなでいい意味で放ったらかしにしてくれていたけど、私も息子にそうした方が良いのだろうかと悩む。
いやー、起きろよ。陽の光浴びろ。
過去の自分に言いながら息子に言う。
難しい。
私は毎日昼まで寝ていたわけだけどね。バイトが決まった日から自分で7時半に起きて、着替えて、朝ご飯食べて、9時出勤が出来ていたわけだけど。
果たして息子はどうかなとも思うよね。
起立性のものだったらやっぱり病院が必要か?それとも自分で動くようになるのか?
悩ましい。
あぁ本当、親子ってお互いがお互いの違う所を心配しているよね。