思い出しながら
今まで子供が不登校になるまではさっぱり自分の中学校生活忘れていたなぁ。
ほぼ記憶にない。
今でも無いはずだし、ひたすら辛かった、苦しかったという感情しか覚えてない。
中学の体育祭の日は何を思って何をしていたのだろうなぁ。
合宿や修学旅行の時はどうだったろうなぁ。
情報が大して回ってこなかったから、あんまりその日だと把握してなかったのかな。
卒業式も然り。
順番に息子がそう言った事の期間を過ごすに連れ、1つずつ1つずつふわっと思い出す。
記憶に全く無かったわけじゃないんだな。
忘れていたんだな。
息子が小学生の時は、そんなそぶりもなかったけれど、不登校になっても私は大丈夫よと言う過信はあった。
だから偉そうに旦那に、もし不登校になっても責めないであげてと言ったんだ。
子供の気持ちが分かるお母さんのつもりだった。
子供の気持ちに予想はついても、お母さんの気持ちは全くわからないのだから、大丈夫な訳ない。
それに息子と私は違うから、一口に不登校と言っても息子の気持ちが全て分かってあげられる訳でもない。
実際に行きしぶりが始まった時の私の気持ちは、私と同じにしたくない。と言う世間体から始まってしまった。
うちの子に限って。って親はよくいう。
他人がいうのは簡単な言葉だけれど、これほど他人に言われると傷付く言葉とは。
そうだよ。うちの子に限ってだよ。まさか。そんな訳ない。うちの子に限って。
頭では、限った事ではないと分かってはいるけれど、やっぱり頭がパニックになった時はそう思わざる得ない。
だよねー!うちの子なると思ったし!想定内想定内!なんて元気にすぐ受け入れられる程母親は誰も出来ていない。
私は学校行事も把握していなかったし、曜日すら曖昧だったから、気にもしなかったけど、修学旅行のお土産をもらう姿の私は、親からはどう映っていたのだろう?
音楽祭の様子を友人から聞いている娘の姿はどうだった?
それを話す友人は学校帰りだったからね、セーラー服だね。家着の娘と話す姿を見た時の心情はどうだった?
どれもこれも切ない。私ならとても切ない。
そんな事ばかり思い出しながら息子を見てしまう。でもだからと言って息子も同じ様に分かればいいのにとは思わない。
分かってよ!とは思うけど、そう言う意味じゃない。もぅっ!!とイラつく時は思うけど、その場だけ。
不登校を経験しているから親や子供の気持ちが分かるわけでもないことを痛感したし、不登校児でも大人になってるから子供達が不登校になってもなんとかなると楽観が出来るわけでもなかった。
そうだなぁ…女性も男性も結婚して子供を育てなさい。とは思わないし、子供を育てて一人前とも思わないけれど、どちらかと言うと是非子供を育ててみて。すごく山あり谷ありでいい意味で深い人生になるから。想像出来ない毎日が待っているから、それに合わせて自分も変わっていくのが分かるよ。
と思った。