日記

なんとなく

そういや

たまにふわふわと思い出す事なのだけれども。

 

旦那と出会って、付き合った期間は半年だった。

なかなか早かったな。

5月が誕生日だから、20歳の終わりの4月に籍を入れた。

 

22歳で息子を授かって、いよいよ出産という時、立会いでは無かったけど、陣痛の無い合間は看護師さんが旦那や家族を分娩室に入れてくれ、いよいよ産むよー!って時は退室という形の病院だった。

 

陣痛が始まって、予定で12時間と言われていたから、旦那はずっといてくれて、両方の両親はいよいよという時に駆けつけてくれた。

 

自営業で後からきた母よりも、専業主婦だった義母が先に来てくれて、腰をさすってくれてた。

正直旦那がさするよりも気持ちよかったです。さすが。

 

なんやかんやと陣痛もピークに達した時に、私の父と母が出産前に分娩室に駆け込んだけれど、その時の顔は忘れないなぁ。

心配そうな父の表情と、私のへたった顔を見た瞬間、唇を震わせて泣きそうな顔をした母。

 

あの時は意味が分からなかった。

 

だって、普通に分娩がすすんでるし、母なんて3人も産んだじゃん。

なんで泣きそうな顔するのさ。

 

その後息子は無事に産まれて、私は出血が酷くてそのまま救急病院に搬送されたりとまぁ周りが大変だったろうけど、結果的に安産で終わった。

息子を私が抱けたのは産んで一週間してからかな。

 

寂しい可哀想というのは実は無かったな。非常にそこはあっさりしていたし、赤ちゃんにそんな記憶無いだろとドライだったし、看護師さんがちゃんと面倒見てくれていたし、貧血で輸血するかしまいか直前だったから殆ど寝てて記憶無いしな。ただ総合病院はご飯が不味かった。

 

それはまぁべつに置いといて。

 

やっと15年経って、あの時の母の表情の意味がわかり出したなって思った。

 

あんな学校に行くか行かないかで格闘してさ、悲鳴上げてさ、自傷行為が絶えなくて、笑いもしない、暗い影のある自己肯定感ただ下がりで、お爺ちゃんからよく分からない神の力を注がれてさ、その後定職にも付かず、どうなるんだろうって考えてた娘がさ、その7年後に旦那さん横に座らせて、汗かきながら陣痛こらえてさ、子供産もうとしてるんだよ。

 

私が娘のそんなシーンに立ち会ったらたまらないな。

いや、息子の嫁さんでもたまらないよ。

 

結婚式はどんな風に見てたのかな。

結婚式も出産も、そういや親のことそこまで考えなかったな。

お母さん泣いてたな。

自分で高揚していっぱいいっぱいだったからな。

何故とすら考え無かったな。

 

だけどあれだな。

子供達はそれでいいな。

その時は自分の事でいっぱいいっぱい考えてればそれでいいな。

 

歳をとった時に、そういや…とふと思い出してくれることがあれば、それだけで親は報われる。