親の想い達
Twitterの、相互さんが、もう子供が不登校になって何年も経ち、落ち着いた今でも、学校に行っていたらな…と呟いていた。
死ぬか生きるか葛藤した日を忘れた訳ではない。
不登校児を持つ親なら分かるけど、そう説明を取り付ける最後の文字の意味が、分かり過ぎて切ない。
だよね。私も思ってる。毎日思う。
ふつうに朝起きて、モソモソ準備して、忘れ物は!?って怒って、鬱陶しそうに無いし!って言われながらバタバタと登校して行く。
だったらどうだったかなーなんて、思う思う。
学校に行ってる娘にも、かける声を選ぶのよ。
息子のように傷付いたら大変と思うから。
先を考えながら、言葉を選びながらの毎日は、疲れる事が多いよね。
あーあ!全部無かった事になってたらな!なんて毎日思ってる。
女の子なら色気付いて、門限も携帯の使い方も、耳にタコができる位言い聞かせて心配して、男の子なら数人友達家に呼んでゲーム。臭いわ。とか愚痴って。
まぁ、そんな生活を、切に求めている人がいて、自分もなるとはなぁ。
そんな事思いもしなかったよね。
どの親も同じような事思うね。
理解をしてくれる教師や、カウンセラー、児童支援の方や、親戚、理解をしてくれている事は、かなり有難いの。それはもう。
理解の無い中で辛い思いをしている人からすれば、居てくれるだけで感謝。
それは前提ね。
ただ、学校に行かなくても大丈夫、行かないを選択した偉い子。
そう言われてもなぁ。
言いっ放しだなぁ…が本音。
後々、近しい人、教師や家族はその先の道の提案や、金銭の協力もあるのだろう。今の所は無くていいのだけど。それは分かるし、きっと頼ると思う。よろしくね。
ただ理解をしてくれているだけで正論連発の人の発言。
これが割としんどくなる時はある。
分かってない…それを言われ続けて、耐えている母親の気持ちは、分かってない。
言っていることは分かるけど、分かってない…。
だからこそ、未だに子供が、普通に登校していたらなぁという小さな呟きさえ、周りにフォロー入れながらしか呟けない罪悪感が現れるんだよね。
でも私から見たら、そのお母さんすごく頑張ってるんだよな。
私にはない確かな母性がしっかりあって、素敵な人だなぁと思うんだけれどね、葛藤もあるよね。
あと、ここのブログをやっていて、わぁ、私も真似しよう!って思って、私がこのブログを始めたきっかけになったお母さんも、愚痴を吐いて葛藤していた。
Twitterで相互になった時、すごくすごく嬉しかったの。完全に片思い中の中学生ね。
年頃の娘の在り方に、心配と不安が沢山入っていた。
わぁ…私も中学生当時こんなんだったな…すまん、お母さん。と思うと同時に、母親としての言葉はすごく共感出来る。
どんなに自分で愚痴を吐いてしまったと言っても、私から見れば、芯の通った、仕事も子育ても頑張ってるお母さんなんだけどな。
どんな仕事をしているのかは分からないけれど、手に職無い私からすれば、憧れるよ。
そこから、ファンになったんだけどな。
他の、Twitterで知ったお母さん達もお父さん達も、どんな形にしろ、「不登校」になってる子供を持つ親は、毎日毎日子供達の事を想う。
ここで、あれかな、不登校じゃなくても子を思ってるし!とか突っ込みが入るのかしらね。
そうよ、不登校にも種類が腐る程あるように、親心も種類が腐る程あるのよ。
全てのものに種類があるの。
共感しても、全て同じだと思う訳ではないし、分かるぅ〜と言う所。
それでいいじゃない。
だって本当にその気持ちは分かるものね。
分かって貰った方も、だよね〜で会話が成り立っていて、それでコーヒーとお茶菓子なんかあったら最高じゃない。じゃ、明日からお互いまた頑張ろね。でいいのよね。
具体的な子供の道しるべも、そこから現れるかもしれないしね!
あ、でも、だからと言って私は親の会とか参加しないタイプなの。
そこにも種類があるねぇ。
悩みの種類が違うからと言って、うちは学校行ってるけど悩みは尽きないし!私達だって思ってるし!と言ってしまうと、そこで世界の広がりは終わっちゃうよね。
まぁ、不登校児の親は、学校行ってるけど悩みは尽きない話しをされても、行ってる時点で羨ましいが勝つから、そもそも話は続かないかもなぁ。
なぁもう、普通に学校行ってたらな。
と、私も同じように呟いてみる(笑)